薬で心を鈍くすることは、本当の幸せといえるのか?【双極性障害】
薬による心の鈍化。あなたはどこまで見過ごせますか?
私はいま、精神科の薬を飲んで、朦朧とする意識の中この文章を書いています。
私の思考は薬のせいで眠さの中に葬られて、せっかく思い浮かんだ気鋭の言葉たちも無に帰す。そのことがとても悲しい。私から生まれた言葉なのに、生まれた端から消えていなくなるなんて。
躁状態でずっと言葉が溢れていればいいのに。その言葉を捨てずに拾っていけたらいいのに。一言たりとも無駄にできないほど脳が覚醒したままいられればいいのに。
私の病気なんて良くならなくていいから、ずっと文章が書けたらいいのに。
私は、なんだかんだいって、感性の鋭い自分を愛していたのだと思う。それを強制的に鈍化させられて、世界の鮮明度が失われた気分になっている。
でも、感性が鋭いままで、この世を生きていくのは辛い。だから私は毎日葛藤する。この薬を飲むべきか、飲まないべきか。
でも本当に感情が鈍化してしまえば、なんの疑いもなく(思考停止で)精神科の薬が飲めるようになるのだろう。そのことが悪いとは言わないし、日々悩む余地がなくて幸せだと言えるだろう。なのに、そんなわかりやすい幸せに、ひねくれ者の私は納得できなかったりする。
心が健康なまま文章を書き続けることはできないのだろうか?もしくは感情が鋭いまま生きていくことはできないのだろうか。私は病気が良くなることも、文章が書けることも、両方諦めたくない。
だから、私は薬を飲んで朦朧とした中でも文章を書き続けようと思う。そんな状態でしか書けない文章が、もしかしたら一年後には書けなくなる文章が、いまなら書けるかもしれないから...
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