変身
初のヘミングウェイに続いて初のフランツ・カフカ。代表的中編小説「変身」を読んだ。1915年出版なのでおよそ100年前だ。
変てこな話なんだけど、ごりごりのヘミングウェイさんの後に読んだからか、なんだかほっとするというか、何かしらの安堵感と共に最後まで読んだ。ヘミングウェイとカフカはいろいろな意味で対極をなす作家かもしれない。
【あらすじ(新潮社のWebより)】
ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。
と、ある。
全体的には、おかしい、シュール、気持ち悪い、なんだけれどこの不可解、不条理に当の本人(虫になったザムザ)がほどよく苛立ちつつ、ほどよく冷静なのが僕の気持ちを温かくさせる。
ところで、本を買う時はAmazonの古本を買うことが多いけれど「もったいない本舗」さんに大変お世話になっていて(なんとなく好きで)今回とどいたのは昭和60年(1985年)改版の昭和63年の刷のもので、改版の際に改訳がなされたのかは不明だが、なんだか夏目漱石を読んでいるような昔の文体の趣があり、それも良かった(やや読みづらかったが慣れる)。
(となるとヘミングウェイの「老人と海」のあの現代風訳は逆によかったのか?そろそろヘミングウェイのファンに「頼むから静かにしてくれ」と言われそうだ…)
ザムザはそれなりに家族にも貢献・奉仕してきたがすべては淡く消え去ってゆくのだ。
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あとがきや解説も読んだけれど、僕がカフカに好感をもったのは「解釈を読者に委ねている強い姿勢」かと思う。カフカはどうも100均ダイソーのネガティヴ社長を思い出すところもあるけれど、例えばこの「変身」の結末も自身で低い評価をし「仕事がたてこんでいたから…もう少し書く時間があったらナァ…」などと回想している。そしてこういった不条理な変身現象も「日常のあたりまえのこと」と説く。村上春樹やカズオ・イシグロのSFヒューマンにも通ずるところがある。
さて、カフカというと村上春樹さんの「海辺のカフカ」を思い浮かべるけれど、氏が編訳した「恋しくて」という海外小説アンソロジーの最後に訳者自作の「恋するザムザ」がある。
カフカの「変身」ではザムザは起きたら虫になっていたが、「恋するザムザ」では起きたらザムザになっていた…という話からはじまる。
久々に読み返してみたがここにも村上小説によく出てくる女性が登場。ちゃーりーを思い出した(ちゃーりーは中国ゆきのスロウ・ボート収録の「シドニーのグリーン・ストリート」に登場する女の子)。放禁用語はあえて放出しまくり、盛り上がりまくりの展開(主人公は自らがなぜ盛り上がっているのかわからないという始末)。春樹さん、げらげらしながら書いたのかもしれん。「恋するザムザ」のあとがきがすごく好きなので、そのまま下記に全部ひっぱって締めにします。
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小説家がアンソロジーを編むと、収録すべき作品の数が足りなくても「ええい、面倒だ。自分で書いちまえ」という裏技があるので楽だ。こういう展開は前に編んだ『バースデー・ストーリーズ』のときと同じ。
まず「恋するザムザ」というタイトルができて、そこからどんな話を書いていけばいいのか考えた。元ネタであるカフカの『変身』を読んでしまうとかえって書きにくくなりそうなので、遥か昔に読んだぼんやりとした記憶を辿って、『変身』後日譚(のようなもの)を書いた。シリアスなフランツ・カフカ愛読者に石を投げられそうだが、僕としてはずいぶん楽しく書かせてもらった。
カフカは『変身』を朗読するとき思わず吹き出していたということだが、そういう話を聞くと僕としてもほっとする。こんなものを書いて、フランツがプラハのユダヤ人墓地の地中で寝返りを打っていないことを望むばかりだ。
【恋愛甘苦度……甘味★★★/苦み★★】
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さて次はカフカの『城』へ。