マイ・ロスト・シティー
今回よんだのは右側のライブラリー版(新版)。左の方は村上春樹さんの初の翻訳本で、1981年出版(僕が持っているのは1983年の7版)のもの。左を読んだのは一昨年の今頃だったと思う。
昨年よんだ長篇「夜はやさし」のインパクトと感動がたいへん強かったため、それぞれの短篇に対して「どこまでが事実なんだろう」といった雑念がよぎり、少し集中できなかった感じもある。
ライブラリー版の「哀しみの孔雀」には、庶民受けするバージョンも収められており、いわゆる「ハッピーエンド」で締めている。この締め方は唐突というか、良くも悪くもそれまでをぶち壊している。しかし、そういう説明(ハッピーエンド版を載せてみるというアナウンス)がなかったら、それなりの味わいもあったかもしれない。
フィッツジェラルドはどちらかというと短篇を高額で出版社に売りまくっていたタイプなので、いわゆる文学的価値が低いとされる庶民受けするストーリーも乱発していた。(稼がにゃいかんという切実さもあったり、なかったり)
短篇集タイトルと同じ「マイ・ロスト・シティー」だけはエッセイ。ところがその前の「アルコールの中で」もエッセイっぽくていろんな境界があいまいになってくる。
いや、本来はそんな境界はあってもなくても良いのだけど、中途半端にフィッツジェラルドその人に対する著述をかじっているものだから、やはりもやもやもつきまとう。
僕は1つめの「残り火(Lees Of Happiness)」が特に好き。
植物人間(?)になった夫を妻は最期まで看つづける。登場人物がみんな優しい。何も奪わない。悲嘆に暮れながらも。不思議な「ビスケット」がちょっとおもしろい。
暖かい余韻があったり、教訓めいた終わり方だったり、自嘲気味だったり、それぞれに味わい深い終わり方をしていると思う。「失われた三時間」もなんだか切ない話だけど、冷静に考えたらけっこうおかしなめぐりあわせ。思い出しては少しにやっとしてしまう。
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当時の春樹さんはもっとカラっとしていたと思うし、実際にこの本のあとがきはたったの2ページでとてもあっさりしている。ところが本書の冒頭の「フィッツジェラルド体験」というのが名文で、何回よんでもぐっとくるものがある。分量もけっこうある。巻末に持ってきそうなものを巻頭にもってきているし、「俺もこれで食っていくんだ」という熱量しか感じない。
【本書の帯より】
優しさと、傲慢さと、自己破壊の予感
'20年代の寵児の魅力を余すところなく伝え
翻訳者・村上春樹の出発点となった作品集を全篇改訳
【関連note(スコット・フィッツジェラルド)】
グレート・ギャツビー(本と映画の感想)
https://note.com/seishinkoji/n/n9081e6b3e7d6
夜はやさし(読後感想)
https://note.com/seishinkoji/n/ncce7b274074d