復興の重圧を背負わされていた指揮官。ブルペンへの指示は間違ってなかった。「江夏の21球」元広島監督の古葉さん死去
あの時の重圧は並大抵のものではなかったはすだ。元広島監督の古葉竹識さんが12日に亡くなっていたというニュースを見た。85歳だった。重圧とは、1979年にカープを初の日本一に導いたこと。鬼にならなくてはいけなかったのだと思う。
この年の日本シリーズについては、山際淳司さんが書いた「江夏の21球」が格別のドラマとして描いている。
広島対近鉄の頂上決戦。11月4日の第7戦の話だ。九回裏に4-3とリードしていたカープ。マウンドには七回から登板していた守護神江夏豊投手が立っている。しかしヒットと四球で無死一、三塁のピンチを迎えた。
ここで木葉監督は、ブルペンで北別府投手らを準備させた。守護神は、俺を信用していないのかと憤慨するシーンが、この作品を盛り立てている。
その後、無死満塁とピンチは拡大するが、相手のスクイズを瞬時に見破るなどして、無失点に抑えて、カープが頂点に達する。
ブルペンを空にして、「江夏との心中」を決意しなかった木葉監督。一見、ヒールのように思えるが、古葉監督は、指揮官として、並々ならぬプレッシャーに立たされていたのではないか。
戦争で原子爆弾が落とされた広島。あれから34年。カープの初の日本一は「復興の象徴」として、考えられていたはずだ。
「カープに日本一」と「守護神のプライド」。どちらかを選ばなければならない指揮官の苦しみを思う。広島の人たちにとっては、ただの野球の試合ではない。それ以上の深い意味合いを帯びていたのだ。
そうなると、江夏投手の気落ちは分からないではないが、古葉監督としては延長を意識した戦い方も考えなくてはいけない。
古葉監督の勝利への執念。江夏投手のプライド。どちらも正しいのだ。そして、指揮官は、最善と思う選択肢を選び、日本一に導いた。
「野球の勝敗」以上の意味合いが、広島にある中で、悲願の日本一に輝いた。私は古葉監督の選択に敬意を支持したい。
プライドを傷つけられた守護神の江夏さんも、今回の訃報に、「残念で寂しい…」と絞り出したそうだ。そして、「楽しいよりも苦しい思い出の方が多い。でも間違いなく、俺にとっては大事な恩人だった」と、しみじみ語ったという。
古葉さんは永遠に語り継がれる名指揮官だと思う。どうぞ安らかに。