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あの「悲劇」が成長の礎となった。広島の35歳野村投手が引退へ。広陵高時代に逆転満塁本塁打を喫して甲子園準優勝。悔しさをバネに大学、プロの飛躍につなげた

あの「悲劇」が成長の礎となった。広島のプロ13年目、野村祐輔投手(35)が現役引退を表明した。広島の広陵高時代は夏の甲子園準優勝。決勝では逆転満塁本塁打を浴びて、深紅の大優勝旗を逃した。あの悔しさが、大学、プロでの飛躍につながったように思う。高校時代の「悲劇」を乗り越えた。すばらしい成長物語だった。

今でも高校野球史で語り継がれる名勝負の一つ。それが2007年の夏の甲子園決勝だろう。佐賀の公立校、佐賀北が「がばい旋風」を起こして頂点に立った。

その決勝戦の相手が広陵高だった。春3度の甲子園優勝を誇る名門校。悲願の夏の全国制覇へあと一つ。エースとして先発マウンドに立ったのが、野村投手だった。

七回まで無失点投球。広陵は4-0とリードしていた。このままビクトリーロードを突き進むかに見えた。しかし八回に「悲劇」が訪れる。1死満塁から押し出しで1点を返された後、3番打者に痛恨の満塁本塁打を浴びた。

試合は4-5。広陵はあと2イニングで手にできた深紅の大優勝旗を逃した。佐賀北の放つ光が強ければ、その分、広陵の影も濃くなる。

押し出しの場面、野村投手は1-3から外角低めのストレートを投じた。判定は「ボール」。野村投手は驚いた表情を見せた。判定に納得がいかない様子がうかがえた。そして次打者に逆転の満塁弾を浴びた。気持ちの整理がつかないまま、投げてしまったのかもしれない。

野村投手にとって「悲劇」だった。しかし、このまま悲劇の準優勝投手として終わらせたくない。

野村投手は明治大学へと進み、1年秋には34回3分の2を投げて自責点0。「シーズン防御率0.00」と達成した。リーグ史上5人目の快挙だった。六大学野球で名投手とされる通算30勝をマークした。

2011年のドラフト会議で広島から1位指名されて入団した。ルーキーイヤーに9勝、防御率1.98の好成績で新人王を獲得した。

そして2016年からは右のエースとして活躍。同年に16勝を挙げて最多勝のタイトルを手にした。チームはこの年からのセリーグ3連覇。野村投手がチームの大黒柱となった。

直球のスピードよりも、「精密機械」ともいえる緻密な制球力を武器にした。チームきっての理論派でもある。それは甲子園決勝での「悲劇」の伏線となった押し出しがコントロールの重要性を意識づけたのかもしれない。

プロ13年で210試合に登板。すべてが先発だった。連続先発登板の日本記録だ。通算80勝を挙げた。

野村投手は、高校時代の「悲劇」があったからこそ、その後の成長につながったように思える。若い時につらいことを経験しても、その後の糧になる。野村投手の活躍は、「人生の教科書」のように思える。野村投手、お疲れさまでした。

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