感覚の感覚的な話
理性と感情の対比は日常に遭遇する衝突ですが、類似する概念に理論と感覚という言葉があります。対義語という分類を考えるならば、理論と感覚は対義語に相当する概念でしょう。
理論とは何か。理論とか論理とか理屈とか、類義語は色々ありますね。カテゴライズする場合には理論的に考えたほうが有利ですから、理論という言葉を先に定義するのが簡単です。そして理論的でないものを感覚的であると表現しておくと、概ね感覚的に自然であるように思います。
理論は科学と好相性です。確からしいことを積み重ねていくのが科学ですから、理論というものが重要なんですね。次に重ねる一歩の正誤を吟味して理論体系に組み込んでいくことが科学の本質と私は考えます。
現実は、しかし理論通りにいかないことが多く存在します。これを理論の不備と考えて誤差やカオス理論で説明していくのが理論的で科学的な手法です。そうやって人類は現代文明を発展させてきました。
一方の感覚は、理論偏重の現代社会では軽視されがちです。本当に軽視されているのか、なんて命題を証明しようとしたらアンケート調査を行って統計学的に処理をすることになりそうですが、感覚的に、現代社会では感覚が軽視されていると、私はそう感じるのです。
これは中々難しい問題で、対立する概念があるとき、ちょうど中道を進むことは不可能に近い所業と思います。中道でも中庸でもいいのだけれど、そうあることは厄介で、ほとんどの場合にはどちらかに傾きます。理論的であろうとすればそちらに、感覚に走り始めるとそちらに、大抵は自分の陣営側に行き過ぎて反対勢力を批判し始めてしまうものです。
西洋医学は理論と科学の結晶です。漢方医学は感覚的な部分が残っているけれど、それでも相当に理論的なものです。どうしてそうなるのか証明されていなくても、膨大な観測データと臨床経験の蓄積から導かれた手法を実践しているに過ぎませんから、やはり感覚よりも理論や科学の領域です。
ここまで読み進めていただいた方は、お気づきかもしれませんが、私は最近どうにも理論の側に傾いています。それで感覚とか感性が鈍っているような感じがして、この記事の執筆を始めました。あゝそれなのに見ての通り文章それ自体が理屈っぽくて四角い感じがします。頭のネジを緩めましょう。
易を立てます。えいやっ。
【結果】坎為水・三爻変
【解】水。とにかく水。進むも戻るも穴。
そっか。そういう時期なんですね。無理に感覚に戻ろうとしなくても良さそうで、困難が重なる時期だから動かずとも良いと。自分の芯だけ通しておけばいいということなのでしょう。まったり時の流れるのを待つことにします。四柱推命で自分をみても動くなら来年とありますから、今は力を蓄える時期ということかもしれませんね。つい焦り頑張り過ぎる性分ですから、座右の銘をみて落ち着こうと思います。以閑雲野鶴為仁、ってちゃんと職場デスクに書いてあります。座ると右側に見えますから、座右の銘です。当たり前にできることは書く必要などありませんから、すると崔瑳のことが可愛く思えてきます。
ついでにタロットも引きましょう。
ヘキサグラムやらケルト十字やらピラミッドやら適当にスプレッドして参りますと、さて書き起こすのは手間なので省略しますが、キーカードはソード7です。逆位置で主張してきますから、そのうちなんとかなるのでしょう。人を待つということです。全体的に停滞と焦燥感を指摘されて笑えてきます。易もタロットも卜術ですから、同じような結果が得られますね。四柱推命で主流をみて卜術で日常を占うと実に良い感じです。さて、話がとっ散らかってきましたので、このあたりで締めようと思います。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、感覚の価値が再発見されて心象世界に栄華を齎しますように。
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