ACT.93『終章』
網目の中で
南北線で最後の足掻きとして真駒内からやってくる電車を撮影している自分。
しかし、タイムリミットは刻一刻と迫っている…にも関わらず、自分の理想とする写真が撮影できない苦しみと戦っていた。自分が課した事なのに、それを達成できない焦燥感が、ただただ自分を焦らせていた。
なんだろう、神様が何処かに居るとしたら
「ギリギリまでこんな所に残らず、大人しく帰る準備をしなさい」
というメッセージなのだろうか。
ただただ、南北線撮影に苦しむ自分が焦りを感じていた。
冒頭の写真は、札幌市営地下鉄の駅の雰囲気を記録したく残した1枚。とにかくこの地下鉄に乗車して感じた事は『大胆な加速』、そして『大柄な車両』という事である。この記録を見ても再び思い出せるくらいの重量感がある地下鉄は、今もまだ不意な時に心の何処かで渇望してしまう。
再び、列車がやってきた。
生活網を記録せよ
札幌の地下鉄は、当時の人口が少ない中で『雪に強い交通を』という強い決心を混ぜつつ、当時のシベリア抑留を経験した交通局長…大刀豊の欧州視察のアイデアにて誕生したゴムタイヤ式の交通手段…である事はこの連載の中で既に記している。のでまた読んでいただきたい(宣伝か)。
そんな大刀豊の残した札幌の地下鉄は、今や札幌五輪に間に合わせるためのプロジェクト要素的に開通した南北線に始まり今や札幌市民の生活になくてはならない存在へと成長した。
そうした功労者、大刀豊の事を思っているとどうしてもこの地下鉄の『生活感』。利用者の『距離感』を残して土産にし帰りたくなってしまうのだ。
その決心から、再び…何度もカメラを構える。
次第に乗客の数まで自分の中では焦りとして動き出し、写真に対しての地団駄は更に深まっていくばかりである。
先ほどの写真を、更に奥まで引きつけて撮影した記録。
何とか自分の中で小さいながらも理想に近づいた。
ST…のロゴを駅の明るさに反射させ、札幌都心を移動する乗客の中に現れる地下鉄。ホームドアとの距離感も保ちつつの撮影となった為、非常に悩む時間は多かった。
そうした中での記録。実際には何本待ったか分からないレベルではあるのだが、その中に残った自己満足の記録である。
この時ばかりは、接近メロディ…虹と雪のバラードも緊張感を呼び起こす楽曲として自分を震わせていたのであった。
次の撮影。
表示に関しては完全に良かったと思う…が、乗客の数が疎らというかホームドアとの距離感が離れすぎ、付きすぎ、というのが少し難点になるだろうか。
しかし、自分の撮影に対してそこまで力を投じない機材ではああやこうや言い始めても仕方がないのでこの記録で良しとして行こう。
脳に宿した時限爆弾のようなものが、そろそろ破裂しようとしていた。大急ぎで札幌に戻る準備を踏む。
激走
平岸での撮影は、何処までも果てしなく…という訳にもいかなかった。
既にこの記事を記している時期にはメロディの使用は停止になってしまったものの、札幌にとって大事な五輪の楽曲、『虹と雪のバラード』の接近メロディを朧げに聴いてお別れとなったのは現在非常に悔やまれるところだ。既に勝機を失った五輪を切り捨てた札幌の町に、現在では複雑な思いを抱きつつ京都で冬季五輪の話を眺めているばかりだ。
さて、虹雪(ようやく略したか)を聞いてから南北線の麻生方面の電車に飛び乗って、札幌で下車。
札幌からは息も切れ切れに高速ダッシュで階段を駆け上り、券売機へ向かって財布の金額と睨み合い帰りの特急列車の乗車券と特急券の代金を券売機に向かいつつ走って確認した。
発達の障害を持っていながらのさながらなオーバーワーク、そして未練がましさが生んだ事象ではありながらも自分の中では本当に
「何をしてんだろうか…」
と思いつつ、息を切らしてJRの駅へ札幌駅の中を駆け回った。
無事に券売機に到着。
急いで話せる券売機に向き合って、高速で指を上下させタッチパネルの項目を打ち込んで特急券・乗車券を購入する。
券売機に向き合っている間、人の行き交うコンコースでは向山氏による案内放送の
『特別急行、とかち…』
と改札の放送が聞こえる。
「助かったぁぁぁっ“!!!」
脳がおかしくなりそうなくらいの歓喜で胸は一杯だった。
この時点では自由席特急券だけで済んでいるものの、今年のダイヤ改正(令和6年)を経てから石勝線の特急列車は指定席制に統一されてしまったので、現在であれば更に苦心を経るだろうか。
ともかく、何とか滑り込んで札幌を後にする事ができた。無事に南千歳までの道を切り開く事に成功である。
乗車し、乗客を掻き分けて自由席に着席するとそのまま胸に手を当てゼーハーと上下する肺を抑えて自分の膝下に置いた荷物を片した。
乗車した特急/とかちが札幌をドガガガガガ…とエンジンを唸らせ加速する際の車窓を見た瞬間の安心は何とも言えずの興奮である。しかし
「こんな形で良かったんだろうか…」
という一抹の後悔も背負っての発車であった。
徐々に加速していき、車内チャイムを耳にして
「イランカラプテ。今日も、JR北海道を…」
とのダンディな大橋俊夫氏の車内放送を聞いた瞬間には
「あぁ、札幌が遠ざかっていく…」
と何とも言えない虚無に支配されてしまった。
苗穂の工場脇を通過し、列車は夜の札幌を突っ切って走る。唸るエンジン。街を固める通勤電車たちに負けじと走るディーゼル特急の走り。
車窓を見つつ苫小牧港の情報を確認していると、車掌がやってきた。切符には情報が記されているが、念の為に
「南千歳まで」
と申告をする。
列車は疾走の果てに千歳線へ合流し、新札幌へ。そしてこの新札幌を発車すると、次駅は南千歳である。
エンジンの加速音と走行音そして電球色の車内が広がる車中を、
「もう帰るのか…」
という思い。そして
「あぁ、北海道の夢のような時間が終わるのか…」
という思いが交錯した。
正直、この巨大な最果ての楽園をこうして離れる事は非常に苦しかった。もう一週間も滞在したのだから、今回の分は悔いなく帰っても良いだろうけど。
次にこの路線を訪問する際は、今度こそ日本ハムファイターズの新球場・エスコンフィールドHOKKAIDOを訪問する時だろうか。早くも今年行っても良いだろうか…なんて過ってくる。
さよなら!!北海道
乗車した特急/とかち9号は無事に21時40分頃、南千歳に到着した。
これが本当に北海道最後の乗車列車である。
白い先頭車が被るマスクのようなスタイルのデザイン。列車名のイニシャル、『T』マークが鮮明に斜体でデザインされたトレインマーク。全てがもう今回の旅路では最後である。
「ありがとう、ありがとう…」
そうした思いが溢れ出す。
そして、南千歳は自分にとって鉄道をコンセプトにした宿への入り口であり、追分へ向かうあの高鳴る気持ちも再び湧き出てきた。
「必ずあの宿に戻って再会しよう、その時は絶対に鉄道で安平町に戻ろう…」
なんて事も考えながら。
しかし最後と決まっているからには人間、どうしても未練がましさが体の隅々を伝ってくるものだ。
車両を無意識に隈なく回って、そしてキハ261系の全てを噛み締めるように落ち着きなく列車の周りを彷徨いた。
特急/とかち9号は列車のスペックとしての本領発揮まであと少し…と石勝線への足踏みをしているようにエンジンサウンドを唸らせ停車している。
少しすると発車時刻に。
新札幌を発車した時と同じように、ゆっくりゆっくりと加速し石勝線へ向かって歩み始めた。
「ありがとう!!絶対に俺はこの大地に戻ってくるからな!!!」
去りゆくキハ261系の姿を見て、再会を誓ったのであった。
おまけ
JR北海道といえば、随所に温かみを感じる演出が非常に多い気がする。それは設備の改修を行なっていない現状を意味するものでもあるような気はするが。
最後に乗車した特急/とかち9号の停車しているホームも、何処か日本人には懐かしいような。そうした空気が漂っている。
既に車両はJRをまっしぐらに走ってきた車両なのに、感じるこの温かさは一体何だったのだろう。
この記事の終盤になるが、JR北海道に乗車したときはそうした一面。また、鉄道と人との距離感を感じてほしい。
地元が北海道生活利用している…という人にも、何かそうして感じる新しい視点がどこかにあるはずだ。この写真から伝えたい事として、是非。
海の旅人
あれだけキハ261系へのサヨナラの思いを記してなんだかなぁ…になるのだが、実は札幌方面に向かうキハ261系も記録しているのでこの場で掲載しておこう。
あまりにもオマケすぎるけども。
さて、南千歳に下車してココからはバスに乗車する。料金はかかってくるものの、南千歳からフェリーの出港するフェリーターミナルまではノンストップで走るという非常に優れたバスで、その走りは非常にありがたいものだった。
それでは、本格的に帰る準備を気持ち的にも整え。メンタルから未練を少しだけ洗い流したところでバスに乗車していこう。
乗車したバスは、苫小牧にて何度か撮影し、自分の今回の旅では倶知安でも観測した『道南バス』である。
この道南バスによるシャトルバスに乗車して、一路は苫小牧のフェリーターミナルに向かうのだ。自家用車を持っていなければ、このバスに頼るかタクシーを利用するか。この2択となってくる。
ちなみにこの北海道旅まで全く知らなかったのだが、吉田拓郎/落陽…でお馴染みの『苫小牧港』と今回乗船するフェリーの発着する港、『苫小牧東港』は別の港であり乗船に向けては知識を抑えておかねばならない。
今から向かうのは、敦賀行きのフェリーが発着する苫小牧東港。丁度、北海道インターハイの時期であった事から多くの学生で賑わい、車内には青春が充満していた。後部座席方面に至っては完全に部活動に精を出す学生たちが座席を占めている状態となったので、青春の発散といえば良いのか花火のように燃え盛る何かがそこにはあった。あまりにも学生生活から離れた20代には暑すぎ、眩しすぎる。
そんな賑やかに彩られた車内となったバスは、南千歳を出発した。苫小牧東港まで30分ほどかかる旅路である。
苫小牧東港に到着した。
このバスは再び、敦賀からの乗客を出迎えるのだろうか行き先を変えてそのまま待機していた。広告、もう今では笑えないですね()
インターハイを終えた学生たちが集うフェリーターミナル。自分の他にも大荷物を携えた学生・顧問たちが集い、孤独な旅の自分には肩身の狭い思いであった。
しばらくこの港で待機する。
幾分か暇になる…というか、学生集団たちのお陰というのか。切符の手続きまでしばらくの時間があったので港をじっくりと見てみる事にした。
故郷めざして
苫小牧東港からフェリーに乗船し、敦賀へ。そして敦賀に到着後はJRに乗車して、京都方面へ。京都から山陰線に乗車して再び地元に戻るという具合であった。
さて、フェリーターミナルの中は最初。小樽より少し小さめといった感覚を覚える。小樽が大きすぎたのか、それとも苫小牧の規模が小さいのかは分からないが自分の中では改めて思うと少し苫小牧は窮屈だった印象である。
フェリーターミナルに入ると、まずはカウンターが。ここで乗船券の発行などのやり取りを行う。
そして、エスカレーターを上がって小さな
待合スペースと売店が。この売店では北海道土産やフェリー内でのアメニティ、暇つぶし向けの書籍などの販売があり少しだけ充実していた。
しかし、小樽と比較するとどうも小ささを感じてしまう。そんなフェリーターミナル内、勇気を出して購入に踏み切ったものがコチラ。
はい。ドリンク式の『白い恋人』。
札幌でも販売され気になっていた商品であったが、出港する前に折角だからと残金に余裕があったので購入し飲んでみた。
結果…
あまりにもミルク濃いです。
沈殿しているのをそのまま喉に押し込んでいるからかな。しかし、何か重たい感じはどうも否めず、非常にこの白い恋人ドリンクは筆舌に尽くし難い食品として自分の脳に刻まれたのであった。
多分、土産か何かじゃないと人向けには買わないと思う…
歌を偲んで
歌になった苫小牧発仙台行きフェリー…の出航場所は、この『東港』ではなく反対の『苫小牧港』である。しかし、この為に買い貯めた、食べまくった、胃の中に収めて暇を潰したと言っても過言ではないモノを船の前に取り出す。
そう。
サイコロキャラメル。
ホンモノのサイコロは買えずとも、北海道にはこのサイコロがあるのだ。
20代にして吉田拓郎の『落陽』が大好きでよく聞いている身として。この写真の撮影をせずにはいられなかった。
感動が計り知れない。あの歌に憧れて、帰り。初の北海道からの帰郷はこの場所にしようと決めていたくらいに、この場所から北海道を離脱できる感動が計り知れなかった。
『苫小牧発仙台行きフェリー あの爺さんときたら』
『わざわざ見送ってくれたよ オマケにテープを拾ってさ 女の子みたいにね』
あぁ、今。俺は北海道を離れて帰郷するんだ…
その万感たる思いが胸を埋め尽くしていた。
わかりづらいですが。
サイコロを振る瞬間を自撮りしたもの。
こんな訳わからんカット、もう撮らないだろうなぁと。そんな事を振り返った今では思ってしまう。
『サイコロ転がし 有金無くし』
『フーテン暮らしの あの爺さん』
『何処かで会おう 生きていてくれ』
『ろくでなしの男たち 身を持ち崩しちまった』
『男の話を聞かせてよ サイコロ転がして』
興奮冷めぬ中、フェリーの時間を待った。次の旅路でもまた。そうした感動に出会えるのだろうか。
思えば思うほど、深い気持ちが心を刺激する。
インターハイを終えて、青春の傷跡を見せている熱い学生たちを横に、自分は名場面の場所を見れた感動で一入だった。この感動、誰に共有できるだろう。流石に若者に共有してくれというのは難しいだろうか…
終章
いよいよ船の門が開かれ、乗船時間となった。この船に乗って仕舞えば、本州への道に乗ってしまう事になる。
テープを持った女の子のように見送る爺さんが居なければ、自分は孤独に一筋の思いを背負ってこの大地に来ただけ。
船に乗った時、本当の意味で北海道の旅路が終わるのだと感じた。重い石のようなモノが、自分の腹の中…肝臓あたりにズシッと魂で襲い掛かったような気持ちになった。
「次、北海道に上陸する時にこの大地はどうなっているだろうか…」
そんな思いも混ざりつつ、船の寝台区画に向かって休息の時間に入る。
相変わらず、学生たちの船内で騒ぐ喧騒が響き渡っていたが自分の乗船するツーリスト区画ではそうした事はなく、同じような旅人たちばかりであった。この時に感じる大層の安心は一体どこから呼び起こされているのだろう。
じっくりと寝そべって、船のエンジンサウンドを耳にする。
そして鼓動のように奏ていたエンジン音が全身を震わせ、係留ロープが外され船が動き出した。
「あぁ、いよいよか…」
船が動き出したのがわかる。
『戻る旅に 陽が沈んでいく』
京都への帰郷に向け、船は動き出した。
東舞鶴からトラブルを経て乗船したあの時とは異なり、学生たちの団体を載せた船に辟易したのか自分はベッド内でただただ寝た状態だった。
21時間の船旅も、帰りとなれば思う事は
「疲れた」
という確かな気持ちと重荷のように自分にのし掛かった疲れを癒す事だけである。
しばらくして、電波が遠ざかりネットの環境と遮断された状態となると、自分はツーリスト区画の自室(ベッド)でそのまま寝転がり転寝するだけであった。
なんとなくこうして寝ていると、記憶の整理整頓や旅の思い出をじっくり染み込ませるような感覚になって気持ち良い。
しばらくは日本海に漂う休息した身体となり、敦賀へと目指すのであった…
あとがき(今回だけです)
ACT.35〜より続きました北海道の旅路、ようやく完結です。
いやぁ、本当に長かった。
自分で自分を褒めたくなるってこういう事なんですかね。もう長くて長くてトニカク…もう疲れました。しばらくこんな長旅良いかな、ってくらい。
そして今回の記事で『かんてん』にはじめて触れたよって方。本当に。本当に出来たら、気になったら程度で全然良いのでマガジンをスクロールして是非、他の北海道の話も読んでください。苦労したんです、お願いします!!(知らんがな)
最初は自分の完全な思い付きで始まったんでした。
小樽市で電気機関車2両を解体処分する。
そうした話を聞いた中で、
「あぁもう行くしかないな、北海道の歴史の土台を作った車両だし絶対に行きたい!」
という思いだけでした。
そして。今だからこそ言えますが…
当初は小樽滞在1日、札幌滞在1日の2泊3日程度の遠征にする計画もありました。というかそれだったらどれだけ労力を使わず済んだことか(笑)結局、
「高校進学して以降、俺って北海道行ってないよな」
という自分の邪念?というんでしょうか。本心が
顔を覗かせ、遠征に関しては道内フリー切符を使用してフル6日間を貫く事にしました。お陰で次回の渡道では
『こうした部分を見てみよう』
だったり、
『北海道ってこんな場所なんだな』
という学習も兼ねた旅路になったので、本当に大きな歩みになったのは間違いありません。
次回は石北本線・根室本線が中心になりそうかなと。滝川経由で本格的にローカル線に乗車したいです。根室本線は丁度、最東端の駅もありますし。
で、実際どうだったろう。
北海道、行ってみて感じたんですが全体的に広いし距離感死ぬし列車に乗り甲斐があるし、乗り物で1回1回の移動で感じる手応えがエグいんです。それだけ。
てゆーか道南に関しては長万部1回でそれ以外全く知りませんからね?長万部から先、函館方面は全く行けませんでした。次回、新幹線で上陸した際には函館・道南方面は本格的に攻めたいです。
あぁ…っなんだろう。そういえば、自分が中学時代に見たアニメ。『天体のメソッド』の聖地である洞爺に関してもまた行きたいんですよね。
今回の北海道旅では自分の思っていた北海道のイメージ、北海道の要素?は割と詰められた気がします。ただ、まだまだです。
北海道、やっぱり楽しかったな。室蘭・遠軽・釧路…挙げればキリないんです。
そして、北海道ってこの記事内にも記したんですけどとにかく本州と浮いてるんじゃないかってくらいに、レトロがたくさんありました。そして。鉄道が隆盛を誇った時代の置き土産がたくさんあったような。
それがまた、北海道に戻りたくなる何かなんですよ。本当に言葉には出来ないんだけど。
最後に
改めまして。
波乱のスタートで東舞鶴を発ち、小樽・追分・岩見沢・旭川・留萌・名寄・音威子府・豊富・稚内・北見・札幌・苫小牧…
と本当に長くかかったこの旅路を長く渡って拝読いただき、本当にありがとうございました。
マガジン部分の大半を占める大長編になってしまいましたが、また読んでいないよ…という方は是非遡ってご一読ください。
本当に。ほんとうに…
ありがとうございました!!!!!
Ps. 北海道現地の皆さまへ
お世話になりました…
また必ず戻ります。
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