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【推薦図書】「西欧は合理主義を大事にする」は昔のハナシ...今の西欧は合理主義を自分たちの手で捨て始めた、さてこれからはどうか?

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まぁ・・・極東から国際ニュースを見ているかぎり、私もぶっちゃけ、そう思う。

本書の内容について触れる前に、まず「合理主義」なるものの歴史について

まず、私の意見としては、

西欧(特にそれを引き継いで新大陸に行ったアメリカ)が古代ギリシャの精神を引き継いで、いやそれ以上に、「理性による対話と合意」を重要視する社会であったのは、確かだと思っています・・・ただしそれって実はここ最近200年間くらいのハナシである

これは西欧への悪口ではない

わたしたちの日本が19世紀に明治維新を強行したのも、この200年間くらいの西欧文化というものが、とてもキラキラと輝いて見えたから

帝国主義でも、キリスト教でもなく、「理性的な対話」を重要視する、その体制が凄いと思ったから。ぜひとも真似をしたいことだった。そしてこれは今も変わらない。

ところが、

肝心の西欧で、それが急激に、崩壊している

と言っているのが、こちらの本。

かつ、もちろん著者自身の立場は、「今の風潮はどうあれ、合理的な対話という原則を捨てるな」です。本書は西欧の混迷への「緊急処方箋」として書かれたもの

残念ながら、今のところ(2025年2月)、日本語訳は出ていません。が、言っていることは説得力あり。現代の西欧(特にアメリカ)を読み解く上で示唆。

いったいどうして、西欧は、アメリカは、自分たちの強みだったはずの合理主義を捨て始めたのか?

その兆候は既に20世紀後半にあった、と著者は指摘します。たとえば、

・「西欧の合理主義は、ヒトラーやスターリンを生んでしまった!西欧の合理主義はそもそも野蛮と同義だったのだ!」(ポストモダン系哲学)

・「合理主義というのは、家父長制の産物である。科学も、論理学も、哲学も、家父権に毒されているものであり、打倒すべきものだ!」(ある派閥の政治思想)

・「合理主義は白人至上主義の産物であり、もっと素晴らしい思想が未開社会や第三世界にたくさんヒントがある!西欧はもうダメだ!イスラム教や仏教や、未開社会の神話にならえ」(ヒッピー系思想家)

・「合理主義は、人の心を理解できない!弱者に同情する、感情論のほうが大事だ!教養なんかいらない!」(上記の、現代哲学や政治思想やヒッピー系やらの、ポピュリズム版)

、、、↑こうして並べて見ると、

どうも日本でも最近たまに見かける言説のように見えてちと怖くなるが、まあそれはともかく、

少なくとも、この数十年間は、こういう意見が「空気」のように西欧を支配し、合理主義切り崩しが「それが正義だ」とでも言わんばかりの風潮になっていたというのは、そうかもしれない(西欧を支配する『漠然とした空気』!)

もちろん、この本は、

「今からでも遅くはない!合理主義こそが大事、という(考えてみれば当たり前なw)常識を取り戻そう!もちろん、いろいろと西欧は失敗もしたが、その失敗の検証と再発防止だって、けっきょく、合理主義でやるしかないじゃないか!」

という結論にいくわけですが、

こんな、私の目から見れば、とてもまっとうな主張を述べている本が「時代に挑戦する刺激的な書!」扱いなのは、いろんな意味で驚いてしまう・・・めちゃくちゃ当たり前なことを書いてる本に見えるが?・・・ともあれ真摯で、好意のもてる本でした。

最後に、本書のテーマからはズレますが、

私の意見として強調、

もし西欧が(特にアメリカが)このまま、せっかく数百年かけて熟成させてきた合理主義をドブに捨てていく・・・となってしまったとしても、合理主義の精神は誰かが拾わなくちゃいかん。

それはもしかしたら、「西欧がー」とか「東洋がー」とかではなく、国とか地域を超えた、世界の「有志」たちが、時代の風潮に惑わされずに継承していく話になるのかもしれないし、じゅうぶんに「西欧近代の合理主義」を勉強してきたはずの、僕ら日本人にも、これは継承できるはず、

だから西欧がドブに捨てても、焦らず、私あたりも含めた地数の無名の人(もはや西欧人でなくてヨシ)が、それを拾ってきれいにまた洗ってリサイクルするよ♻️

というのも、

「合理主義」というのは、そもそもの定義からしてw、西欧の専売特許ではなく、人類みんな(SF的にいえば、宇宙人がもしいたら、宇宙人みんな)のもの。近代の西欧が合理主義を強く採択していたのは偶然か必然か、となると、これはひと議論である。

よって「合理主義よりもよい思考がある」というのは(「合理主義」の定義からして)なんかおかしいけど、「西欧流の合理主義とは、少しまた違う形態の合理主義ってのも、あり得るはずだ」というのは、なるほど、そうかもしれない。ただその場合、私はドライに、「西欧ですら、まだまだ合理主義については未完成だったのだ、この次の形態があるはずだ」と考えますが。ただしこの200年くらいの西欧に「合理主義ってのは西欧人にしかできないものだよね、西欧以外ってダメな奴らだよなあ」という傲慢がなかったとはいえまい。単純に今は西欧も反省と振り返りの時間なのかも。

なんであれ、現代に出てくるべくして出てきた本と思いました。

そしてこんな「当たり前」に見えることを主張しただけで「右翼だ」「家父長制だ」「西欧至上主義者だ」とさまざまな攻撃を受けるとするなら、まこと、現代において哲学者および哲学研究者ってのはたいへんですな。。。あ、わたしもヒトゴトじゃなかった、、、。


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