イライラをゴミ箱にダンクシュートするコツ
仕事中にふと言われた同僚からの一言や、コンビニやスーパーの店員の態度など、些細な言動で人の心は一瞬にして凍り付いたり、舞い上がったりする。
気分よく舞い上がれる時は良いとして、時に一瞬にして心が凍り付くような言動を取られた時は胸糞悪くないだろうか?
私は過敏で面倒な性格故に、かなり傷つくし胸糞悪い。
以前、胃カメラを受けた際、病院でお会計を5千円以上多く請求されていたにも拘らず、帰宅後なんの連絡もなく、後日再診した際に謝罪もなく淡々と5千円を返金された時は、しばらくイライラが募っていた。
(ひとり親の私にとって5千円は大金なのに......。しかも判明してから連絡もないし、謝罪もない。どういうスタンスでの仕事なのだろうか。私だったらもっとホスピタリティをもって仕事をするのに......ぐちぐち.....割愛)
たしかこんな風に心の中で悪態をつきまくっていた。もちろん面と向かっていう勇気なんて無い。
しかしその数日後、開かずの踏切に30分程時間を費やした時にあることに気が付いた。
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私が車の助手席で開かずの踏切を待っている間の出来事だった。
左横に泊まるバイク乗りは、足を貧乏ゆすりしてイライラしている様子が見て取れる。
反対に右横にいる人は、イヤフォンで好きな音楽でも聴いているのか、とても上機嫌だ。身体がリズムをとっている。
そしてその日の私は時間に余裕がある為、窓越しに夕焼けを眺めていた。
そして思い出したのだ。先日踏切に捕まった時の私は、先を急ぎ10分以上開かない踏切に苛立っていた。
結局のところ、踏切が開かないという事実はいつでも中立なのに対し、その時の状況や気分、環境で人によって大きくその事実が変わってくる。
例えば、踏切が10分以上開かないとする。
・行先を急いでいる時は、焦り、イライラするだろう。
・反対に時間に余裕がある時は、何も感じないかラジオや音楽を楽しむ余裕さえ生まれるかもしれない。
・そしてそんなあなたを横目に、熱心な電車マニアは必死にカメラを構えているかもしれない。
たった1つの出来事でも、どう感じるかは気分や状況に大きく左右される。
人によって異なるどころか、同じ人間でもその時の気分で大きく変わってしまうのだ。
どんな出来事も、どう捉えるかどうかは自由。
踏切で10分以上立ち往生したからって、必ずしもイライラしなければならないわけではない。喜んだって、楽しんだって、なんだって良いのだ。
私はお会計を間違えられたあの日、いつもより虫の居所が悪く、必要以上にイライラしていた気がしなくもない。
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話を戻すと、病院でお会計を間違えた人にとって私がひとり親である事情は何の関係もない。そんな状況や心情を知る術がないのは明らかだ。
お会計を担当した人は当時、気分が悪かったのかもしれない。連絡をしなかったのも病院の方針なのかもしれない。
人の事情や背景を察することは、なかなか難しい。
友人や親しい同僚であれば、情報を得られるかもしれないが、待ちゆく中で一瞬しか関わることのない人の事情を察することは、ほぼほぼ不可能だ。
そうなると、通りすがりにぶつかってきた人や態度の悪い店員に、いちいち落ち込む意味が全くない。
その人がとった言動の背景を知ることはできないし、自分がその言動で落ち込む背景だって知ってもらうことができないのだから。
道でぶつかってきた相手は、今日たまたま苛立っていたのか?
それともぶつかられてイライラしてしまう自分の方が、たまたま虫の居所が悪いのか?
そんなことを考えていると不思議とイライラが収まってきた。