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どうしたら、自分で自分を認められる?

ふと、最近がんばったことはあるかな?
と考えてみた。

一瞬で、「——何もない」と、自分から答えが返ってきた。


じゃあ、これまでの人生でがんばったことは?

と聞いてみたら。

これまた「特にない。」との返答が返ってきた。


なんやねん。(笑)


がんばったこと、ないんかーい。と思ったんだけど

客観的に見れば、努力をしたと言えそうなことはある。死ぬ思いで毎日耐えたバレーボールの部活とか、空いてる時間を全て費やした早稲田の受験とか

だけど別に、がんばったかと言うと、そうでもないんだよな。


1ミリの怠けもなく、最大限全てを費やした。だけどそれは、自分がしたくて、必要だと思ったから、身を捧げただけだ。

うーん。むずかしい。


むしろ私は、勉強なんてなまじできる人は、みんな自分に嘘をついている人だと思ってバカにしてきた。素直に生きていれば、大抵勉強なんぞ、好きにならないし、身を削ってまで勉強しない。

親の為とか、褒められたいとか、そういう欲求のために自分を押し殺して、我慢しているんだろうなあ。と

自分がそうだったから、別に勉強することは私にとって「逃げ」で、自分から逃げたり、本当にやりたいことから、逃げているだけの手段に過ぎなかったから。


むしろ、自分に素直に生きるよう努める人のほうが、よっぽどすごいし、そういう人のほうが「頑張ってる」にふさわしいと思えた。


だけど、どうだろう———。

今の私は、精一杯の勇気を出して、認められるための努力をやめ、自分に素直に生きようと、時にいや頻繁によく怠けるようにした。

でも、それはそれで、全然がんばってないじゃないか。と思ってしまうのだ。

だって全然、全力を出していないんだから。

ゼロ百の私は、一瞬でも怠けたり、まだやれる余白が少してでもあったり、絶対的に完璧にできることを全てやったと思えるまで、全力を出したとは思えない。


んー。だけどなあ

そこまで追い込んじゃうと、自分に嘘をついてる気がするしなあ。。

ウンウンとうなって、考えておりました。


結果、これはもう「がんばる」という概念は、自分には分からないという結論に至りました。

がんばる。頑張っているという、概念が理解できない。自分的なものさしを定められない。

だってなんだか、私の中でちぐはぐなんだもの。


そうしたらもう、違うものさしを評価に使うしかない。

がんばる、頑張れない、で自分を認めようとしてたら、一生このまま、私は自分を認められない。


ほいじゃあ、何がいいんだろう————。


力を尽くした。
勇気を出した。
そのとき、最善と思えることをした。

色んな角度から、その時々の自分を評価することができるだろう。

だけどな、うーーーーーーーーん。



あ。


どうしたら、自分を評価できるか。
じゃなくて

どの物差しを使ったら、自分を認められるか。
じゃなくて


まずは、自分を認めてあげたい。を前提にして

その時々の自分から、良いな。と評価できるポイントを探して、グッドボタンを押していく。

これで、いいんじゃないかな。


まずは、自分を認めることをゴールにする。

その次に、今の自分を見て、評価できる見方や
物差しを探す。


勉強してる自分も、怠けることを頑張る自分も

ストイックな自分も、そうじゃない自分も

力を入れている時も、力を抜いている時も


その時々でものさしを変えて、評価できるポイントを探す。見方を考える。

ああ———これだ。私は、これがやりたかったんだ。と思う


生真面目でかたくなな私は、一つの物差しでいつも、善と悪を決めようとする。どちらが正しいのか、知ろうとする。

正しい、と思えないと自分を認められないから。自信がもてないから。

だからその時々で、都合よく物差しを柔らげることもできず、いつも「どの物差しが正しいんだろう」と探してしまっていた。

この物差しに沿っていれば、安全だと思えるような、正しさの揺るがない見方を探していた。


———だけど、違ったんだ。

一つの物差しでどうこうするんじゃなく、いくつもの物差しを用意しておいて、状況に沿って評価しやすい物差しを選べばいい。


ストイックな自分も、自分に素直な自分も、その時々で褒めてあげたらいい。


なんだそんなことか。と思うかもしれないが

これは私にとって、ものすごく重要なことで。


まず自分を褒めたい。認めたい、がある。

だけど、手放しに自分を肯定するのは、性格上できないから。だけど、正確な一つの物差しなんて、どこにもない。

だったらどう自分を褒めたらいいんだ。どうしたら頑張ったと、よくやったと認めていいんだ。

そんなところで、私はずっと悩んでいたけれど。


まずは「自分を褒めること」「認められること」を決定事項とする。

それが先にあって、その次に、その為の物差しを探せばいい。


だって、今の自分を肯定的にみて、いい状態を保てるほうが、結果的に効率的でもあるしね。

多少の寄り道はあったとしても、白黒思考のせいで、ずぅーんと落ち込んだり、足が永久に止まってしまうよりずっといい。

自分を認めることは、善だよ。それを先に置こう。

なんてこった。

今日イチの大きな気づきが、これでした。


皆さんもどうぞ、まずは自分を認めることを確定させて、その次に評価軸を決めるという戦法をとってみてください。

自分を自分で認められるって、すんごく必要なことですよね。


おわり。

心躍ります^^♪