ずっと欲しかったのは、自分に優しい心の在り方だった。
褒められたい。
それは、褒められると嬉しいから。
褒められて嬉しいのは、自分で自分を認めてもいいような心地がするから。
それを通じて自分を「すごい」と思いたいから。
成功したい。
それは、「成功」という一般的にすごいと認められる状況になったら、自分を認められるような気がするから。
お金持ちになること。何かすごい結果を出すこと。という「成果」が欲しいわけじゃなくて
その成果を通じて、自分をすごいと思いたかった。
そう思える心がほしかったんだ。
可愛くなりたい。
誰にも文句を言われないくらいの。パーフェクトな容姿になりたかったのは
自分の顔や体型を見て、自分を責めてしまうのが、つらかったから。
足りてない部分を潰していくことで手にしたかったのは、完璧な容姿ではなく
『自分を責めなくてもいい自分』で
本当の願いは“自分を肯定してあげられる状態”だった。
幸せになりたかったのは。
「幸せ」というものが何なのか、曖昧にしか掴めていない状態でも、必死にそれを手にしたかったのは
幸せになったら、安心できると思ったから。
もう自分を急かしたり、結果を得るために叱咤したりしなくていいんだ。
ゴールに達したらようやく、自分を認めてあげてもいいんだと思っていたから。
本当に欲しいのは、心の平穏と、安心して自分を認めてあげられる状態だった。
なーんだ。
結局、欲しかったのは全部、形じゃないじゃん。
自分に対するやさしい見方をしたくて。
自分を認めてもいいんだと思いたくて。
否定している状態が、嫌で、つらくて。
でも、自分を認めてあげるには、何かの結果を出してからじゃないといけないと思っていたから
褒められる結果や、認められる容姿や、そういう外的なものを欲しがっていたんだね。
でもさ
結局、自分にやさしい見方なら、「今すぐにでも」できてしまうんだよね。笑
結果を得ないとそうしてはいけない。自分に満足してはいけないと、思い込んでいただけで。
今すぐ、認めてあげてもいいんだよね。
目に見える結果を出していなくたって、日々がんばっている自分のちょっとした行動をねぎらって、褒めたたえたっていいし
自分の顔の気に入らない部分に目を向けて気分を悪くしなくても、気に入ってるパーツを見て、いいね。て、思ってあげたっていい。
(わざわざコンプレックスが気になるような角度からばっかり、見てしまったりするよね)
幸せのゴールを追いかけてそれに達してから。
なんて条件をもうけなくたって、今すぐ自分を認めてあげていい。
だってそれが、本当は欲しかったものなんだから。
逆にいえば、
欲しかった物質的な「形」を手に入れても、
「自分に対する厳しい見方」「批判的な視線」の癖を持ったままでいたら
たぶんすぐに、次の乗り越えるべき課題が生じてきてしまうから。笑
そうしたら一生、欲しかった心の安寧や、自分への優しい見方を手に入れることはできない。
でも、そしたら結果が手に入んないじゃん。て?
心配しなくても、逆に本当に欲しい心の在り方を先に手にしてしまった方が
ずっと早く、ずっと楽に求めていたものを手に入れることができる。
本当かよ? て、私自身も疑っていたけれど
長い間、色んな事象を見てきて、自分でも試してみて、それは本当だって確証を持ってる。
だから、本当に欲しい
自分に対する優しい見方。
自分を認めてあげる視点。
肯定してあげる在り方。
これを今すぐ受けとっても、いいんだよね。
それが、あなたの欲しいものなら。
日々、自分に厳しくストイックにしている人は
当たり前の基準が高すぎて、自分を褒める事象なんて見つからないかもしれないけれど。笑
だからこそ、「あ、今日も布団から出たやん」とか本当にちょっとしたことから自分を褒めたり、
肯定したり、やさしい見方をしてあげるような癖をつけていけたらきっと
心がもっと楽になるし、否定もへって逆にどんどん動きやすくなるんじゃないかな、と思う。
「お疲れさま」「よく頑張ってるね」
という言葉をもらって
「え? いやいや、全然でしょ」
と全く受け取れない方は、要注意です。✌︎
me?
おわり