ある人にこう言われた。「小説なんて時間の無駄だ」と。 言われてみたら、その通り。いまどき、電車の中でさえ、熱心に小説を読み耽っている人もいないし、小説のことを飲み会の席で話そうものなら、めんどくさい奴というレッテルを貼られてしまう。 殻に閉じこもって生きていると、周りのことが見えなくなるものだ。僕は自分に忠告してくれるその方の意見を素直に受け入れることにし、しばらく小説を読むのもやめた。 でも、文字が生活の中からいなくなると、何だか寂しい気持ちになってくる。そこで、選ん
旅行に行ったら、お土産は買わない主義だ。 べつに、何か特別な理由があってそうしているわけではない。単に、お金がないからでもあるし、あまりお土産に興味が湧かないからというだけだ。 それに、行く時よりも帰りの方が荷物が重いという状況も回避したい。クタクタな状態で、そんなものを持ち運びたくはない。 しかし、せっかく重い腰を上げて行ったのだから、何か行った「証」みたいな物が欲しいとは思っていた。もし、高橋さんに疑われても大丈夫なように。 しばらくして、ニコンの一眼レフカメラを
自転車の緩んだタイヤのネジを締めているとき、ある男が頭に急に浮かんできたて、吹き出してしまった。 なんで、彼のことが浮かんできたのかは分からない。もう、会わなくなって何年も経つし、それほど、親しいなかでもなかったから、普段の生活では思い出すことなど、ほとんどないはずなのに。 だいぶ昔に紅茶に浸したマドレーヌの香りによって、幼い記憶が突然呼び起こされたとか言って、長い長い小説を書いた人がいたが、おそらく僕も自転車のネジを締めたことによって、忘れかけていた記憶が蘇ってしまった
普段はあまり食べない料理の中にサンドイッチがある。とくに、嫌いというわけではない。けど、深夜2時にサンドイッチが夢に出てきてコンビニに向かわせるほど好きなものでもない。 めんどくさい、まどろっこしい表現を無視するなら、「ふつう」である。 セブンイレブンに行ったはいいが、何を買ったらいいのか分からないときに、ついつい手が伸びてしまう、『あればそれで』的な存在だ。 しかし、そんな存在のサンドイッチを無性に食べさせたくなる人物が世界には2人いる。「村上春樹」と「スティーブンキ
近頃、散歩が楽しい。暇さえあれば散歩をするようにしている。行き先はくまざわ書店かブックオフと決めている。ちょうどいい距離にあるので散歩の目的地としては最適だ。 なにより、行き先を決めないで自宅から飛び出してしまっても、どこに行っていいのか分からず、ソワソワしてしまう。近所の人にそんな姿を見られたら、不審者のレッテルをはられてしまうではないか。 さらに、行き先のない散歩のことをその世界では「徘徊」と呼んでいる。私の祖母は徘徊のプロで国営タクシーを乗り回しているが、そうなるに
地球上でもっともかわいい生物は猫だと思っている。他にこんなにもかわいい生物が他にいるだろうか? 猫が好きになったのは、6歳くらいだったと思う。実家にある物置で生まれたばかりの子猫を発見したときだったと記憶している。 「ニャーニャー」と鳴く姿を見たとき、不覚にも萌えてしまった。オタクと呼ばれる方々がアイドルに人生を捧げてしまう気持ちも、きっと同じような感覚なのだろう。 その後、子猫は母親に連れていかれたのかいなくなってしまった。なんとも寂しかった思い出がある。これが私が猫
子供のときにピアノを習っていた。正確に言うと習わされていたと言っていいかもしれない。 はじめに言っておくと僕が生まれ家は裕福ではない。ピアノを習っていたと聞くと裕福な家庭でリビングにはグランドピアノかアップライトピアノが鎮座している光景を思い浮かべる人も少なくないと思う。 しかし、現実はそんなに甘くはない。家にあるのは和室に置かれたKAWAIの電子ピアノだ。 先日、久しぶりに実家に帰ったときに懐かしさもあり触ってみたが、酷いクオリティのピアノだった。当時はそんなことは思
今さらながら土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』を知った。 知ったと言うのは、僕はこの本を読んでいないので、知ったと言うしかないならである。 読んでないので、内容は分からないが、タイトルから想像するに、きちんと料理をしなければいけないといった強迫観念に囚われた主婦に向けて、料理はご飯と具だくさんの味噌汁、それに漬物が有ればいいんだよ、と言う吉兆で働いていた土井善晴さんの優しさに溢れた本なのだと思う。 僕は昔から、『こうでなければいけない』といった思い込みの激し
村上春樹の小説に『象の消滅』という作品がある。 僕の記憶が正しければ、この物語のあらすじはこうだった気がする。 世界中の象がハンターによって殺害され、アユタヤに一頭だけ残った象「ファンファン」が小田原港に輸送。しかし、人間の優しさを踏み躙ったあげく脱走。小田原城址公園に奇襲をかけた象は飼育員を踏み潰す。最後は国道一号線を東に進み、大磯にある吉田茂邸の前で世界はメタファーだと叫ぶファンタジー小説だったと思う。たぶん僕の記憶は正しくないのかもしれない。 これと同じではないが