ネジる男
自転車の緩んだタイヤのネジを締めているとき、ある男が頭に急に浮かんできたて、吹き出してしまった。
なんで、彼のことが浮かんできたのかは分からない。もう、会わなくなって何年も経つし、それほど、親しいなかでもなかったから、普段の生活では思い出すことなど、ほとんどないはずなのに。
だいぶ昔に紅茶に浸したマドレーヌの香りによって、幼い記憶が突然呼び起こされたとか言って、長い長い小説を書いた人がいたが、おそらく僕も自転車のネジを締めたことによって、忘れかけていた記憶が蘇ってしまったのだろう。同じことだ。
その男はとにかくネジるのが大好きだった。自分の髪を。
僕が初めてネジる姿を見たのは、高校生1年生の2学期からだったと思う。なぜ、その時期からネジりだしたのかと言うと、簡単な話だ。
それまで彼にはネジる髪がなかったからだ。
小学生から目覚めるまで、彼は、平成生まれのクセに「昭和を忘れたくない、いや、決して忘れてはいけないんだ!」という強い意志を感じる髪型をしていた。
でも、彼は目覚めてしまった。何でかは分からない。
もしかしたら、好きな女の子にメデューサみたいな人が好きと言われたのかもしれないし、神のお告げがあったのかもしれない。「ネジりなさい」と。
とにかく何が彼をそうさせたのかは分からない。僕は勝手にこう思っている。「時」がきたのだと。人生はそういうものなのかもしれないと。
彼を見かけるときは必ず髪をネジっていた。多くの学生が行き交う駅でもネジっていたし、放課後に私服になった彼を見たときにもネジっていた。先生に髪型のことを注意されているときにも、先生の目を盗んでネジっているのを僕は見逃さなかった。
そんな彼を僕は心の中で勝手に「ネジる男」と命名した。
今思えば、悪くない名前だったと思う。もし、このまま彼の物語を映画化することになっても、そのまま使えそうな名前だ。
髪をネジることに取り憑かれた男が、いつしか目に入るものを何でもネジってしまうようになる。次第にそのネジる対象は人間にも及び・・・「やめて!痛い!」と軽くあしらわれる。ラストは、ヒロインのジェシカが逃げ込んだ廃工場で、世界には右ネジと左ネジがあること知り発狂するという狂気と加減に満ちた物語。
悪くないとは思うけど、もちろん彼には言っていない。誰にだって、一つや二つ触れては欲しくないことだってある。チックみたいに。ときには、触れないであげる優しさもその時は必要だと思ったからだ。
でも、今は違う。
あのときのように若くはないし、言ってあげるのも優しさだという考えに変わったからだ。
それに、3年前久しぶりに地元に帰ったときに僕は見てしまった。
駅で髪の毛をネジって歩く彼を。
まさか?とはじめは思ったけど、忘れるわけがない。もし、影絵としてシルエットだけが写し出されていても、間違えるわけがない。
高校を卒業して10年以上も経つけど、こんなにも言わないで後悔したことはないかもしれない。もし、同じように周りにもネジる男がいるのなら、後悔しないように言おう。もし、言うのが恐ろしいのならば、誕生日にスプレーを送ろう。「ネジるのは朝1回だけ」とメッセージを添えて。