
何でこうなった?『個人ブログの消滅』
村上春樹の小説に『象の消滅』という作品がある。
僕の記憶が正しければ、この物語のあらすじはこうだった気がする。
世界中の象がハンターによって殺害され、アユタヤに一頭だけ残った象「ファンファン」が小田原港に輸送。しかし、人間の優しさを踏み躙ったあげく脱走。小田原城址公園に奇襲をかけた象は飼育員を踏み潰す。最後は国道一号線を東に進み、大磯にある吉田茂邸の前で世界はメタファーだと叫ぶファンタジー小説だったと思う。たぶん僕の記憶は正しくないのかもしれない。
これと同じではないが、ブログも消滅しかかっている。
今から20年前、いや19年。えっ?22年?17年?15年?詳しくは覚えていないが、それなりにブログが楽しい時期があった。
しかし、今のブログは面白くない。
試しに、「オナニー」を検索してみる。
検索上位に出てくるのは、「嘘と忖度と欲望」にまみれたサイトだけだ。
一位は『pornhub』それに、wiki、エロタレストと続く。
私個人としとはまったく面白くない。
いや、若い頃なら楽しかったかもしれない。しかし、今となってはズッコンバッコンしている動画なんて見ても何も思わない。
私はオナニーを検索しているんだ。
電信柱にペニスを擦り付けるオナニーやベランダの手すりを使ったオナニーがなぜないのだ。
もしくは、こんにゃくを使ったオナニーがなぜない?残念ながら現在の主流はテンガになってしまった。しかし、こんにゃくが一世を風靡した時代もあったのだよ。
このように過去の楽しかったブログ文化も消滅してしまった。自由な文化があった。
ブログの面白さは個人が自由に発言し、自由に議論し、江ノ電の線路を歩いたインスタグラマーばりに承認欲求を満たすツールであってもいいのかも知れない。
僕も個人ブログは好きだ。
個人が好きに発言して、散歩写真を上げて、パートナーとの変態プレイをちょっぴり公開しちゃうようなブログが。
1番嫌いなブログはと言えば、オススメ20選だ。そんなブログを見ると、本当に好きなものが何なのか分からなくなっているように見えてしまう。
情報社会の闇だ。
人にオススメしていいのは3つまでだ。それが本当に相手のことを思った行動じゃないか?現実世界で20個もオススメされたら、僕は『歯医者の時間なんだ」と嘘をついてその場所から立ち去るだろう。
やはり、個人の意見や色が色濃く反映された、ブログは面白しろい。
そもそもネットは、そのような自由な風潮があるから発展してきたのではないかとさえ思う。
特に好きでもない人苫米地さんの本に「テレビは洗脳装置」と言う本があるが、その通りだと思う。
テレビの洗脳や金儲けよりが嫌だから、ネットに逃れたのに。いったい貧乏人は何を信じたらいいのだろう。
最近では、特に好きでもない人2百田尚樹さんが自身のYouTubeチャンネルが制限されるとおっしゃっていた。
確かに過激な発言をする方だ。
しかし、いくら過激な発言でも制限は違う。そんな発言を排除していたら自由がなくなる。
教育に悪いから、悪影響がある。スポンサー忖度。
そんな理由で制限をかけないで欲しい。
ネットに期待するのは、自由。どんな意見でも許されること。(まともな大人の方なら分かる)
それがなければ、ネットの意味なんてない。
私は個人ブログがまた復活して、自由な意見を聞いていたいなと思う。(たとえ間違った意見だとしても、判断するのは個人だ。)どんな言葉でもいいじゃない。それが無くなったら、終わりだよと言いたい。