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福田恆存、あるいは臨界感覚(1)(2005)

福田恆存、あるいは臨界感覚

Saven Satow
Aug. 31, 2005

IAGO: For I am nothing if not critical.
William Shakespeare “Othello the Moor of Venice” II, i

一 平衡感覚の人
 小林秀雄の登場以来、これまでその時代を代表する文芸批評家が現われております。それは主張やスタイルがモードとして時代とシンクロした現象だと言えますまいか。一九八〇年代は柄谷行人=蓮実重彦が支配的な批評家でしたし、七〇年代には山口昌男が影響力を持ち、六〇年代のスターは吉本隆明であります。占領が終わり、戦後体制が形成されてきた一九五〇年代に流行した文芸批評家は花田清輝と福田恆存です。

 「戦後、ぼくが学生の頃の評論の二大スターは福田恆存と花田清輝でした」と言い、森毅は、『ゆきあたりばったり文学談義』において、D・H・ロレンスに関する卒論を書いた東京大学英文学科の卒業者について次のように述べております。

 福田恆存は、あとでずいぶん右寄りみたいに言われますが、あの人は戦争中をわりにリベラルに生きて、そのことで逆に戦後は左翼嫌いになるんです。そのためにちょっと突っ張り過ぎたようなところがありました。戦後、福田さんの『平衡感覚』(昭二十二)という評論集が出ましたが、ぼくは、福田恆存をずっと読んでいるわけではなく、『芸術とはなにか』(昭二十五)とか。『人間・この劇的なるもの』(昭三十~三十一)ぐらいまでしか読んでないんです。福田さんはわりに目配りの利いた、バランスで生きた人だと思います。福田恆存を評価する人には、右寄りの評論家が多いんですが、右よりの評論家ってどうしてみんなバランス感覚が悪いのと、常々、不思議に思っています。

 評論家はみんなそれぞれに時代を背負うわけです。花田・福田の時代、福田はむやみに右寄りみたいに思われて、彼自身もそういうところへ行ってしまったせいもありますが、とらえられ方が限定されました。

 花田清輝が左派、福田恆存が右派の論客という素朴な区別は彼らの批評を「限定」するだけであります。彼らは、たんに自分自身の志向や信念に基づいていたのではなく、言論界における役割を演じていたと言えましょう。特に、福田恆存は保守派から読まれることが多く、「バランス」を欠いて扱われています。ところが、両者とも「わりに目配りの利いた、バランスで生きた人」であります。

 「ずいぶん右寄りみたい」に言われてからも、よく見ると、この京都産業大学教授は「バランス」で生きています。彼は『平和論に対する疑問』を書いて左派を批判した後、『防衞論に対する疑問』によって右派を叩いています。また、右に転向した清水幾太郎や猪木正道を論駁して、保守派から攻撃されています。「右か左か」のような短絡的な二項対立で福田恆存を捉えることは適切ではありますまい。

 この国語問題協議会常任理事は、『近代日本文学の系譜』において、当時主流だった近代文学派に対して次のように批判しています。

 現代文学の薄弱さは、いかに生くべきかという人生根本の問題に面をそむけていることにあるという非難はいちおう首肯できる。が、その非難がやはり作品の側において、その作品に向けてなされている点に、またこの非難も実を結ばずに終わるのではないかという懸念をもたざるをえない。むしろ、僕は、人生いかに生くべきかに表面無関心な作家の態度が、実は明治以来あまりにこの疑問に熱しすぎた精神主義の伝統に忠実であったためにほかならぬことを強調したいのであり、いわば、この文章に関するかぎり、そこに僕の意図があったといってさしつかえない。が、それもすでに明らかであろう。すべては「実行と芸術」との素朴な混同に胚胎している。いかに生くべきかは、たんに芸術のうえの問題でもなければ、芸術家のみの責任に委ねられた問題でもない。この疑問のまえには、政治家も、農民も、労働者も、知識階級も、すべてが同列に対処せねばならぬのであり、これを芸術家独尊の、あるいは芸術のみがもっとも正しき解答を与えうる問題と考えたところに禍いのもとがあった。なぜならば、この懐疑を芸術家のみに委せきったところに──いや、己一人に委せられたと解釈したところに、近代日本の芸術概念は一種の独善に陥ったからである。

 これは演劇的認識に基づいております。役者が評価されるのはその演戯であって、「人生いかに生くべきか」は二の次です。花田清輝にしろ、福田恆存にしろ、演劇と深い関係を持った批評家であります。両者とも戯曲を書いていますし、後者に至っては、『シェイクスピア全集』を翻訳して、その上、文学座や雲など劇団運営に関与しております。「今だと、文学少年っぽくたって、戯曲にまでは手を出しません。第一、戯曲は誰も読まないし、しかも売れない。しかし、以前は戯曲というものの存在が、一つの文化圏を持っていたようです。みんなシェイクスピアなんかをけっこう読んでいたわけです。今でもシェイクスピアを教養的に読むことはあるかもしれませんが。でも今、戯曲を読むという人は、演劇少年、演劇少女に限られてしまっています」(『ゆきあたりばったり文学談義』)。

 しかも、現在、ブロードウェイを筆頭に、芝居と言えば、ミュージカルです。アーサー・ミラーもテネシー・ウィリアムズもエドワード・オールビーもお呼びではないのです。花田=福田の時代は演劇の時代であり、彼らの「バランス」はこの演劇への意志が可能にしていると言えましょう。「芝居の目指すところは、昔も今も自然に対して、いわば鏡を向けて、正しいものは正しい姿に、愚かなものは愚かな形のままに映しだして、生きた時代の本質をありのままに示すことだ」(ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』)。

二 『マクベス』
 現代演劇協会理事長は、『人間・この劇的なるもの』において、「劇は究極において倫理的でなければならない。元来は、それは宗教的なものであった。その本質は、今日もなお失われてはならぬ」と言い、さらに、シェイクスピアの四大悲劇のうちで、「もっとも純粋な悲劇」として『マクベス』を挙げております。と申しますのも、「マクベスは自由でありえた。それにもかかわらず、かれは自分の宿命を探りあて、性急にそれに到達しようとあがく」のがその一因だからであります。

 すでにいったように、私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である。そういえば、誤解をまねくであろうが、こういったらわかってもらえるであろうか。私たちは自己の宿命のうちあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌刺さを味わえるのだ。自己が居るべきところに居るという実感、宿命感とはそういうものである。それは、なにも大仰な悲劇性を意味しない。宿命などというものは、ごく単純なものだ。
(『人間・この劇的なるもの』)

 スコットランドの将軍マクベスは、フォレス近くの荒野で、友人の将軍バンンクォーと共に、三人の魔女に出会い、自分が王になるという予言を聞きます。彼自身は半信半疑だったのですが、野心家の妻に押され、城に立ち寄ったスコットランド王ダンカンを殺害します。魔女の予言通り、スコットランド王となったマクベスは、自分の権力をさらに強固なものにするため、魔女の予言を再度仰ぎ、殺戮を重ねるのですが、その罪の意識に苛まされて、精神の平衡感覚を失い、自滅へと向かい始めるのです。マクベス夫人も精神が錯乱し、狂死してしまいます。そうしている間に、父がマクベスによって殺されたことを知った王子マルカムは貴族を集め、マクベス打倒に立ち上がります。女から生まれたものに敗れることはないという魔女の予言を信念にマクベスは動じません。けれども、城は難攻不落だという魔女の予言を完全には信じきれず、マクベスは城から出て戦闘を挑み、月足らずで母親の腹を裂いて出てきたマクダフに討ちとられるのです。

 予言にはマクベスが王になるとしても、国王を殺さなければならないのか、国王を殺さなくともいずれは国王になれるのかどうかは明らかではありません。マクベスもそれを承知しております。が、妻の後押しもあって、彼はダンカン王を殺害して、後釜に座ってしまうのです。

 予言はそもそもが曖昧なものであります。第一幕第一場の魔女のセリフでそのとりようによってどうとでも解釈できる性質が予言されておるのです。

ALL: Fair is foul, and foul is fair:

 福田恆存は「きれいは汚い、汚いはきれい」、小田島雄志は「いいは悪いで悪いはいい」と訳しておりますが、”fair”と”foul”にはいずれの意味もあります。予言は意味の平衡状態にある言葉で、それをある心理的状況に置かれた人物が解釈し始めた途端、臨界に達してしまうのです。確かに、予言では、”fair”は“foul”であり、“foul”は“fair”であります。

 こうした曖昧さは予言に囚われた人物を主人公にしたこの作品の至るところに見られます。第五幕第五場におけるマクベスが夫人の死を聞いて語る劇中で最も有名な次のセリフにもそれがあるのです。

SEYTON: The queen, my lord, is dead.
MACBETH: She should have died hereafter;
There would have been a time for such a word-
Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.

 この最後の”sound and fury”は、ウィリアム・フォークナーの革新的な小説『響きと怒り(The Sound and the Fury)』(一九二九)のタイトルに使われております。コンプソン家の悲劇的没落を三部構成で描いているのですが、各章が三人の人物それぞれの独白であり、三つの異なる視点で語られた事実が提示されています。中でも、第一章は知的障害者の口を通して話されており、断片的な印象を受けます。この構造は作者が追求していく意欲的な語りの技法の先駆けであります。

 “There would have been a time for such a word”は仮定法過去完了であり、「将来」や「来世」の意味を持つ”hereafter”は”tomorrow”の類義語である以上、マクベスのこの言葉はマクベス夫人の死について語られたのか、それとも自分自身のその後に続く言葉に対して言及されたのかというように、どちらにかかるのかはっきりしません。仮定法過去完了は過去の出来事の仮定を述べ、話し手はそこに直接法で言えない自分の気持ちを託し、聞き手はそれを読み取ることが求められるのです。もちろん、”hereafter”に”tomorrow”とも予言にかかわっていることは言うまでもありますまい。

 福田恆存はここを次のように翻訳しております。

シートン は、お妃様が、お亡くなりあそばして。
マクベス あれも、いつかは死なねはならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そうして一日一日と小きざみに、時の階を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の灯!人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、わめいたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、かやがやわやわや、すさまじいはかり、何の取りとめもありはせぬ。

 福田恆存の翻訳ではマクベスの言葉は死への意識に重点が置かれております。心理的に追いつめられたマクベスが自己劇化している光景が目に浮かびます。福田恆存は、『人間・この劇的なるもの』の中で、「マクベスだけが、しかも劇中たえず自己を演出しつづけたマクベスだけが、私たちのまえに自己の死を演出することを禁じられている。死にたいして、もっとも意識であったかれだけが、自分の死を眺めることができないのだ」と指摘しております。彼は『マクベス』をモチーフに戯曲『明智光秀』を書いていますが、そこではこの点がより強調されております。「生はかならず死によってのみ正当化される。個人は、全体を、それが自己を滅ぼすものであるがゆえに認めなければならない。それが劇というものだ。そして、それが人間の生きかたなのである。人間はつねにそういうふうに生きてきたし、今後もそういうふうに生きつづけるだろう」(『人間・この劇的なるもの』)。この「自己」の「演出」をめぐる認識が福田恆存の傾向を示しているのであります。

 訳を比較することによって、その翻訳者の認知傾向が明らかになります。『ジュリアス・シーザー』の"Speak, hands, for me!" を福田恆存は「この手に聞け!」と訳していますが、坪内逍遥は「もう……この上は……腕ずくだ!」と歌舞伎のように和訳しておりますし、中野好夫は「こうなれば、腕に物を言わせるのだ!」としております。福田恆存の翻訳は自己劇化の色彩が強いのです。仲代達也や平幹二郎が手をかざしている姿が思い起こされます。

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