見出し画像

E・A・ポー、あるいは認知と文学(2011)

E・A・ポー、あるいは認知と文学
Saven Satow
Mar. 11, 2011

“Un dessein si funeste, S'il n'est digne d'Atree, est digne de Thyeste”.
Prosper Jolyot de Crébillon “Atree”

 20世紀の散文フィクションを支配したのは詩人のエドガー・アラン・ポーである。確かに、文学を変えた小説家としてジェィムズ・ジョイスやマルセル・プルースト、フランツ・カフカなどの名が挙げられる。けれども、スタニスワフ・レムやイタロ・カルヴィーノが端的に示しているように、現代小説はSFやミステリー、サスペンス、ホラー、アドベンチャー、ファンタジーなどのジャンルによって構成されている。1849年にボルチモアで野垂死にしたかの作家はそれらの発明家ないし改革者である。

 この比類なき美しい筆跡の持ち主はたんに多彩だっただけではない。すべての作品が傑作の名に値する。それが可能であったのは、「認知」に焦点を当て、創作行為を意識化し、そこから今日の俗流に言う「無意識」のようなものを斥けたからである。

 それはポウが、詩を書くということを意識化しようとしたことに原因があるのです。詩を書くということは、ロマン派の時代にあっては、いわばインスピレーションで書くことです。インスピレーションが来るまでは、酒を飲んだり、メチャクチャやったりしている。ある一瞬インスピレーションが来て、それで書く。そういう天才神話みたいなものがあり、今でもそんなことを信じてやっている人がいますけれどもね。ところがポウは、もちろんインスピレーションを否定したわけではないものの、インスピレーションという神秘的で訳のわからない過程、その過程を可能なかぎり意識化しようとしたのです。
(柄谷行人『安吾その可能性の中心』)

 『盗まれた手紙(The Purloined Letter)』(1845)を例にしてみよう。ミステリーの最大の魅力は、犯人当てもさることながら、犯罪トリックの謎解きにある。加害者はどのような方法で証拠隠滅を行って完全犯罪を目論んだのかを読者は推理する。ところが、オーギュスト・デュパンは、後の探偵たちと違い、よく言えば巧妙、悪く言えば作為的すぎるトリックを解き明かしはしない。この文学史上初のプライベート・アイは「見落とし」から謎を解明する。人間は注意を払う。しかし、それはあくまで視覚認知の情報選択機能である。選ぶためには、条件を制限する必要がある。犯人が相手の先入観を先読みし、それに当てはまらないようにしてしまえば、対象が目の前にあっても見落としてしまう。

 認知心理学的アプローチはミステリーのように検証性の強いジャンルだけではない。ホラーでもそれは見られる。『赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)』(1842)を例に検討しよう。赤死病の猛威に襲われる都市を横目に、城では連日お楽しみが繰り広げられている。そこに、全身血まみれで疫病を思わせる仮面を被った輩が城内に侵入し、城主のプロスペロが刀を振り回し、賊を追い払おうとする。相手が振り向いた瞬間、プロスペロは叫び声を上げて絶命してしまう。とり巻きが侵入者を何とか捕まえたものの、衣装の中には誰もいない。プロスペロが何を見たのか誰にもわからない。

 プロスペロが見たものをめぐる解釈は際限なく可能である。しかし、そうだとすれば、ロールシャッハ・テスト同様、それ自体に意味などない。このような設定にすると、読者は解釈しようとする認知の傾向をポーが指し示したと考えるべきだろう。こうした作者の認識は『Xだらけの社説 (X-Ing a Paragraph)』(1849)がよく物語っている。印刷工が社説の活字版を用意していると、必要な活字が見当たらない。そこで、後から修正するつもりでとりあえずXを入れていたら、そのまま印刷されてしまう。読者は Xだらけの社説に何らかの意味を見出そうとする。

 このような認知の利用はその広い額の人物が詩人だったことにも一因がある。詩は、散文以上に、認知の傾向を利用している。近現代詩ではその特徴が弱まっているものの、発話を前提とした表現である。詩人は散文家以上に言語の音に敏感でなければならぬ。書記ではあり得ない認知上の問題が表面化する。文節や同音異義語は書き言葉においては認識が容易である。けれども、話し言葉では、心的辞書や文脈、その言語特有のリズムによって判断せざるを得ない。長い叙事詩には繰り返しが多いが、記憶しやすいようにリズムをつけるためだけではない。音声はすぐに消えていくため、聞き手は確認が困難であるから、文字文章と比べて、情報量を詰めこむことは避けられる。繰り返しはそれを補うことができる。また、氷山の一角だけを表わす手法は、こうした制限から求められ、これが効果的に機能するには、認知に関する鋭い洞察が要る。詩の創作と認知は密接な関係にある。

 精緻な構成と綿密なプロットに比して、シャルル・ボードレールの敬愛した作家の文体は、概して、簡素である。しかし、だからこそ、読者はそれを想像し、推測しながら、読む。書かれていない前提まで勝手に補って情景を思い浮かべたり、登場人物の心情を推し量ったり、テーマや意味を推論したりする。これは認知心理学で談話理解として知られる研究領域である。かの貧乏作家の作品は認知心理学の洞察の宝庫である。

 なお、『大鴉』や『黒猫』、『モルグ街の殺人』などポー作品の映画に欠かせないのがベラ・ルゴシである。このハンガリー出身の俳優は史上最低の映画監督エド・ウッドに心酔され、晩年その作品にも出演している。そうした模様はティム・バートン監督の傑作『エド・ウッド』で知ることができる。

 詩人全般にこうした文学革命が可能ではないことは言うまでもない。このサンボリズムのイコン以後の文学者・芸術家はジクムント・フロイトの「無意識」に飛びついてしまい、むしろ、後退している。今日、「無意識」を口にする文学的・哲学的・社会的言論はほぼ無責任・無内容である。現代の精神医学・心理学では、精神分析を除けば、この概念を使うことはあまりない。これは、フロイトが精神疾患を心因論から説明するために持ち出したものである。しかし、精神疾患に関する国際的な標準マニュアルDSM-Ⅳ・ICD10は、PTSDなどの一部の例外を別にすれば、心因論を採用していない。治療を目的とするため、原因ではなく、症状から疾病を定義・分類する考えをとっている。精神医学が現実的に疾病を治療できるようになったのは、1952年のクロルプロマジン革命からである。この出来損ないの薬がフランスの精神科医ジャン・ドレー (Jean Delay) とピエール・ドニカー (Pierre Deniker)によって統合失調症の治療に効果があることが発見される。それまで精神医学は疾病に実はお手上げ状態で、このとき、史上初めて効果的な治療法が見つかり、現在はこの流れにある。無意識は心因論のための方法的概念である以上、もはや用はない。加えて、意識されない認知過程の研究も無意識を避け、汎用性のある脳神経科学の用語で言い換える傾向がある。

 DSM-Ⅳ・ICD10には批判や反発も根強く、すべての臨床家が受容しているわけではない。けれども、このマニュアルによって精神疾患の国際的な知識・情報の共有を円滑にする機能を果たしていることは確かである。精神症状・行動の評定が主観的に偏りがちだったり、疾病の概念が社会的認識、学派的背景、個人的信念に左右されやすかったりするという弊害があったため、操作的診断基準の必要性が国際的に高まり、誕生したのが先の二つのマニュアルである。DSMはアメリカ精神医学会、ICDはWHOがそれぞれ作成し、前者は精神医学研究、後者は医療行政・疾病統計に主に用いられている。

 なお、PTSDはフロイト理論に従っている。ただ、戦争や災害、犯罪などによる心的外傷が不安障害を引き起こすというこの画期的な学説を精神分析のゴッドファーザー自身は後に撤回してしまう。とは言うものの、これはフロイトの精神医学・心理学における最大の功績の一つである。

 詩人がエッセーや告白など主観性の強い散文作品で成功するケースはしばしば見られる。しかし、かの1809年生まれの作家は、その域を超え、20世紀の散文フィクションを支配している。それは認知を明示化する透徹な知的作業を通じた創作によって可能になっている。だが、あくまでも彼が詩人だったからこそ達成できたことである。認知を吟味することで詩の暗黙知を明示知にし、文学史上にも例のない散文フィクションの革新を行う。現代文学はエドガー・アラン・ポーの影に魂を閉じこめられ、こう叫ぶほかない。”Nevermore!”
〈了〉
参照文献
石丸昌彦他、『精神医学特論』、放送大学教育振興会、2010年
柄谷行人、『言葉と悲劇』、講談社学術文庫、1993年
高野陽太郎他、『認知心理学概論』、放送大学教育振興会、2006年
PoeStories.com
http://www.poestories.com/


いいなと思ったら応援しよう!