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瞑想してなくてもありのままがいい気がする

ありのままを観察するヴィパッサナー瞑想
be at the moment, and 
to see things as they really are

ヴィパッサナーの歩く瞑想をして今日で5日目。
ゆっくり歩くという動作だけでも、筋肉、骨、関節からあらゆる感覚があった。それに加え、部屋を移動すると温度の変化を感じたり、絶え間なく目に入ってくる情報、床がきしむ音、外を吹く風の音、湧き上がる思考。。。
情報量の多さに脳みそのラベリング作業が追い付かず、パンクする〜〜!!と感じた。

歩く瞑想をやり、「ありのままを観察する」ヴィパッサナーが気付きの瞑想と呼ばれる理由がなんとなくわかった気がする。
ありのままの自分の内側から溢れるほど出てくる感覚、思考、情報に驚く。

数日前、「サピエンス全史」の筆者で歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリもヴィパッサナー瞑想を日課としているという動画を見る機会があった。
動画の中でハラリさんはこう言っている、

初めて受けたヴィパッサナーで、先生は自己の呼吸を観察しなさい
荒かろうが浅かろうがありのままの呼吸を観察しなさい
ありのままの現実を観察しなさいと言われた

何よりも驚いたのが自分が10秒も続けられなかったことです
心がすぐに違う事を始めるのです
思考、空想、思い出、それらにふけり始めます

自分のありのままの呼吸が10秒も観察できない人間が
どうしてグローバルな政治経済をありのままに観察できるでしょう
瞑想をして自分の心と体の日常的な反応パターンが分かります
自分自身を知っていく。怒り、喜び、あらゆる自分の感情を知る

ありのままの自分を知り、そしてありのままの世界を知る
自分で作った空想、物語、思い込み、それらにとじこもることなく

個々が抱えている問題の大半の根本原因は
自分で作った思い込みを真実だと錯覚しているせいですから
自己流の解釈ものの見方
そんな脳内ファンタジーが現実と噛み合わない時私たちはパニックになるのです

ハラリさんの話を聞き、私にも大いにあるなあと、、、

頭の中で勝手に作り上げる思い込みの世界
起こってもない未来に不安になる気持ち
ある人のことを知りもしないのに勝手にこんな人だろうという決めつけ
過去の嫌なトラウマから上手くいくわけないだろうという決めつけ

↑↑は全て今現実に目の前で起こっていない事に対して自分のマインドで勝手に作って、ストーリーを展開させてストレスに思っている。

今起こっていることではない、
ありのままではないことから生まれている勝手なストーリー。
違う違う、
今ここで起こっているありのままを見て、聞いて、感じる。
自分が勝手に作ったフィクションストーリーには真実はなく、信憑性はない。

ヴィパッサナー、ありのままを観察すること。

これは、瞑想中だけのことだけではなく、日々の暮らし、人との関わり方、世の中の見方などにも大いに大いに役に立つちょっとした、いやとても大きなヒントな気がする。

なんか、そんなことを感じて、書いておこうと思った。

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