瞑想してなくてもありのままがいい気がする
ありのままを観察するヴィパッサナー瞑想
be at the moment, and
to see things as they really are
ヴィパッサナーの歩く瞑想をして今日で5日目。
ゆっくり歩くという動作だけでも、筋肉、骨、関節からあらゆる感覚があった。それに加え、部屋を移動すると温度の変化を感じたり、絶え間なく目に入ってくる情報、床がきしむ音、外を吹く風の音、湧き上がる思考。。。
情報量の多さに脳みそのラベリング作業が追い付かず、パンクする〜〜!!と感じた。
歩く瞑想をやり、「ありのままを観察する」ヴィパッサナーが気付きの瞑想と呼ばれる理由がなんとなくわかった気がする。
ありのままの自分の内側から溢れるほど出てくる感覚、思考、情報に驚く。
数日前、「サピエンス全史」の筆者で歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリもヴィパッサナー瞑想を日課としているという動画を見る機会があった。
動画の中でハラリさんはこう言っている、
ハラリさんの話を聞き、私にも大いにあるなあと、、、
頭の中で勝手に作り上げる思い込みの世界
起こってもない未来に不安になる気持ち
ある人のことを知りもしないのに勝手にこんな人だろうという決めつけ
過去の嫌なトラウマから上手くいくわけないだろうという決めつけ
↑↑は全て今現実に目の前で起こっていない事に対して自分のマインドで勝手に作って、ストーリーを展開させてストレスに思っている。
今起こっていることではない、
ありのままではないことから生まれている勝手なストーリー。
違う違う、
今ここで起こっているありのままを見て、聞いて、感じる。
自分が勝手に作ったフィクションストーリーには真実はなく、信憑性はない。
ヴィパッサナー、ありのままを観察すること。
これは、瞑想中だけのことだけではなく、日々の暮らし、人との関わり方、世の中の見方などにも大いに大いに役に立つちょっとした、いやとても大きなヒントな気がする。
なんか、そんなことを感じて、書いておこうと思った。