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錫杖岳への憧れ

学習院大学山岳部 昭和42年卒 石川正弘

 上高地に「田代小屋」を持っていた学習院山岳部は、案内人の内野常次郎、中畠政太郎等、中尾や蒲田の案内人と懇意になり、峠を越えて交流することになった。

 加藤泰安の頃から、飛騨側(岐阜県側)からのスキー登山が熱心となり、やがてそれはアプローチこそ異なるが、中畠政太郎との厳冬期の槍ヶ岳から西穂高岳の縦走につながる。

 その後、加藤泰安等は錫杖岳の「学習院の岩小屋」をベースとして、しばしば岩登り練習をしていた。 威容を誇る錫杖岳は標高が低いこともあって、訪れる人も少なく、クリヤ谷は「誰にも知られたくない秘密の谷」となった。

 1935(昭和10)年12月に、鍋島直定、井上肇、周布光兼の3人はOBの加藤泰安等との朝鮮鬱陵島に遠征する計画であったが、加藤泰安が興安嶺遠征決定のために、代替案として第一次厳冬期錫杖岳登山が実施された。 この時は荷揚げ等を行わず実施したために、「学習院の岩小屋」をベースとして厳冬期の初登頂を狙うも、深雪に阻まれて撤退した。 しかし、雪の中の偵察を行った。

 翌1936(昭和11)年3月に満を持して周布光兼と千坂録雄は、積雪期の積雪期の錫杖岳本峰と烏帽子岩の登攀に成功する。案内人に頼らない2人の登攀であった。

 以後、久米正七郎や土田新一は足しげくこの地に通うようになった。

「1935年度:積雪期錫杖岳烏帽子岩登攀に燃えた」から

「1936年度:我らの故郷(ハイマート)の山小屋を探し始めた」へ

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