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光徳小屋用地取得の経緯

学習院中高等科山岳部 昭和13年卒 原口兼義

 山岳部で自分たちの山小屋を持ちたいと言う考えは、相当古来から当時の大先輩たちから語られており、昭和5年頃、あるいはさらに以前から部員の中では語られていたが実現にはほど遠かった。

 私が耳にしたのは私が中等科3年頃からではなかったかと思われる。 加藤泰安先輩、鍋倉英夫先輩、渡辺八郎(※)先輩教授・山岳部部長、松方三郎先輩などが中心で、具体的に明確な土地はなく、日本アルプスと称されている飛騨山脈を主とした中部山岳地帯が話の種となっていた。

 その頃私の父が、宮内省の帝室林野局東京支局長で学習院の先輩でもあることから、意見を聞いてみたところ、日光の戦場ヶ原の少し奥に光徳牧場と言う、未だ広く「一般には知られていない良さそうな、ひなびた雰囲気のところがあるからそこはどうだろう」と言うので渡辺八郎先生と相談の上、とりあえず先生が自分で見てくると一人で現地を視察。 帰ってこられて「大変良いところだ、ぜひ実現させたい」と言う意向を示されたので、急ぎ学習院と帝室林野局とが面談する手はずを取り、私の父がその考えを学習院の事務官に伝えた。

 まず基本的な考え方として、第一に学習院は宮内省の組織の中にある。 従ってその土地は売るとか買うとかの必要はなく、宮内省の内部的手続きだけで良いということが明らかになった。

 林野局の意向としては、国立公園の中にあって誰も未だ売買の対象にしたことのない土地で外部の者に渡したくない。 林野局としては喜ばしい話なので、早急に取り決めようと言うことになり、山岳部としてはただ漫然と光徳牧場の奥と表現していた。 渡辺山岳部長と松方三郎先輩、加藤泰安先輩などが我々にも意見を述べさせ、結論として光徳に建設することが決められ、私が事務局となって林野局に伝達した。

 その頃林野局も、当山岳部も、あの美しい白樺林のあたりと見当をつけてはいたが、決定的位置不確定のまま、林野局の意向を聞くこととなった。 林野局の意向は、山岳部の考えよりはるかに膨大なもので、現在の光徳小屋の北側の小さな山全体と涸沼、五色沼等を含む地帯、および南は光徳牧場所有地の境界線までと言う広大なものだった。

 この事業のやりとりは事務的なことなので、我々学生には介入させず、学習院の事務官と林野局の事務官とが取り仕切った。 その際、後で聞いたところでは学習院の事務官は「このような広い区画は要らない。山小屋建設に必要な所と小屋周辺の土地があれば良いので広大な土地は必要なし」として、林野局の行為を断ってしまった。 全く惜しい残念なことをしたものだ。 小さいながらも湖水や小さい沼、小川の水源、山林などを含む土地、今になって思えば何十万坪、何百万坪と言う財産を只でくれると言うものを断ったことになる。 戦後私立学校となった学習院としてはもったいないことをしたと残念に思う。

 設計の事はよく分かりませんが、加藤泰安先輩・鍋倉英夫先輩・渡辺八郎先生方のグループ等の意見が集められたものと思われます。 完成式など、記録も記憶もないので残念に思っている次第です。

山桜通信24号(2005年10月)


2024年6月29日撮影


2024年6月29日撮影


2024年6月29日撮影


2024年6月29日撮影


2024年6月29日撮影


2024年6月29日撮影


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