現役と過ごしたテントの一夜 北アルプス・奥穂高岳に登る④
学習院大学山岳部 昭和30年卒 石川貞昭
6時近くになっても現れないので、私たちは水場まで迎えに下ってみた。 ヤッホーを叫ぶ。 谷の下の方から特徴あるコールサインが響いてくる。 きっと彼らに違いない。
果せるかな、私どもに誘いをかけてくれた学習院大学山岳部のメンバー3名が登ってきた。 一人当たり40キロ以上の大荷物を背負いあげてきたので、遅くなったと言う。
テント場に重い荷を降ろして、早速設営。食事の準備が始まる。 涸沢のカールに宵闇が迫る頃、待ちに待った私たちのテントが出来上がり、中にロウソクの灯が明々と子供たちの顔を照らし出す。
今回のOBOGの参加は、今晩は私ども一家だけで、テント1張りは貸切の恩恵に浴することになった。 テントの中も、潜り込む寝袋も、全てが初めての子供2人はうれしくて仕方がない。 しんしんと冷え込む夜の穂高の懐で、温かい湯気の立ちのぼる夕食が出来上がったのは、8時を過ぎていただろう。
現役の山岳部員と、こうして山のテントで一夜を共にするのは、私たち夫婦にとっても、現在まで、この時が最初で最後なのである。
子供を寝かせてしまってから、我々は明日下山するだけなので、深夜までウイスキーを酌み交わしながら話題が弾んでいった。
リーダーの千木良滋夫君は、ヒンズー・ラジ遠征から帰ってきたばかり。そしてこの翌年の春、剣岳の小窓で幕営中に雪崩にやられて、不帰の人となってしまったのである。 1年部員の飯塚洋二君は、千木良滋夫君と同じテントに寝ていて生還した体験をしている。 年配格の絹川祥夫君は、後に飯塚洋二君と共に、カラコルムのスキャンカンリ峰(※2)(7545m)初登頂で活躍している。
私たち一家にとって、千木良滋夫君との忘れられない思い出の一夜が、涸沢なのである。
(1970年8月の山行)
(※2)スキャンカンリ峰(7545m)
パキスタンのカラコルムのバルトロ氷河の最奥部にあるK2に近い山。1976(昭和51)年8月11日に、OBの藤大路美興(学習院大学山岳部昭和50年卒)と現役の永田秀樹(学習院大学山岳部昭和53年卒)が初登頂。この遠征に、絹川祥夫(学習院大学山岳部昭和48年卒)と飯塚洋二(学習院大学山岳部昭和48年卒)が参加している。
<メモ>
国土地理院の地図のベストセラーは50,000分の1地図「上高地」、つまり穂高岳だと言われる。 ウォルター・ウェストン師により、世に知らされて90年。 穂高は岳人の憧れの山、その神秘さは変わることがない。 氷河地形のカールの涸沢は、万年雪の残る、穂高の深い山懐。
上高地から16キロ、登り5時間半、下り4時間半の長いトレイルだ。 涸沢~穂高岳山荘~奥穂高岳は、登り3時間半、 下り2時間半。
上高地~岳沢~前穂高岳~奥穂高岳コース(10キロの登りで8時間半、下り5時間半)。 北穂高岳~槍ヶ岳の縦走コース(所要7時間)も人気がある。
(1970年8月の山行)
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