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現役と過ごしたテントの一夜 北アルプス・奥穂高岳に登る①

学習院大学山岳部 昭和30年卒 石川貞昭

 夏の初めに、母校の学習院大学山岳部からいつもの『夏山合宿計画書』が送られてきた。 中身は、ざら紙に部員の手書きのガリ版印刷で、この夏はこのような予定で合宿行動を行うと言うやつである。

 一読してみるとその末尾に『8月下旬、穂高・涸沢に幕営しているので、先輩のご参加を乞う』との誘いが目に留まった。

 私も家内もともども、学生時代が年に何回か通った穂高であるが、勘定してみるともう10年以上もご無沙汰の地である。

 子供たちも山小屋泊りは帰って体験しているが、テント生活はまだやったことがない。 そこで今は亡き、当時のリーダー千木良滋夫(※1)君のありがたい取り計らいに参画させてもらうことにした。

 当時、長男8歳(小学3年)、次男4歳と、まだ無理のできない年齢なので、北アルプス行きの決まりのような夜行列車は敬遠、新宿を昼過ぎに出発する急行で松本に向かう。

 夏休みもお盆を過ぎると人出も一段落している。 指定席入手で苦労することもなく、自由席でも楽に行ける。 人々が遊び疲れの端境期といったときの旅は子連れには向いている。 松本には夕暮れに着き、登山者の姿もほとんどない小さな電車に揺られて、終点、島々に降り立った。

 ここでは直ちに駅前の小さな旅館に投宿する。 一風呂浴びて、田んぼに鳴くカエルの大合唱を聞く夕涼み。 そして子供達を早く寝かせてしまう。 とにかく明日は上高地から涸沢間16キロの子連れキャラバンだ。 これに備えての玄関口島々での素泊まりの一夜は、それなりの効果はあったと思う。

 翌朝は、言うことのない快晴である。 宿の目の前がバスの発着所なので、夜行組の到着前に、悠々と乗り込める。

(※1)千木良滋夫

 学習院高等科山岳部1967(昭和42年)卒、そのまま学習院大学山岳部に進む。 1968(昭和43)年6月~8月に、パキスタンのヒンドゥ・ラジ山脈のゴラッシュゾム(6149m)に、OB贄田統亜(学習院大学山岳部昭和38年卒)と現役の時田昌幸(学習院大学山岳部昭和45年卒)と千木良滋夫が初登頂。 学習院大学山岳部4年次に主将。 現役最後の山行となる1971(昭和46)年の春山合宿(北ア・剱岳)にて、3月17日未明に剱岳小窓で発生した就寝中の雪崩により遭難した。

(1970年8月の山行)

「チチ離れを始めた長男との正月山行 奥日光太郎山④」から

「現役と過ごしたテントの一夜 北アルプス・奥穂高岳に登る②」へ

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