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toradesu222
感情を否定したら、自分が分からなくなった。
暑い日、暑いことを認めなかった。暑いと思ったら暑くなるから。
友達と遊ぶことは楽しくなかったが、それを認めなかった。世の中、そういうイベントは楽しむものだから。
外出や旅行は楽しくなかったが、それを認めなかった。一般的に楽しむものらしいし、わたしがおかしいから。
母親にいらついたが、それを認めなかった。育ててもらった親にそんな感情を抱いてはいけない。
いわゆるヲタク趣味が好きだったが、それを認めなかった。大人がするものではない。
天然石や鉱物が好きだったが、それを認めなかった。大人の女性は、洗練されたジュエリーを好むだろう。
からだを起こせず働きたくなかったが、それを認めなかった。やるべき仕事がある。
体調が悪いが、それを認めなかった。メンタル不調なんて格好が悪いし市民権はない。
*
結果、わたしはなにが楽しいのか、さっぱり分からなくなった。
からだはわたしの意志で動かなくなり、心療内科送りとなった。
「大人になったらこうあるべき」を自分に押し付け、わたしはわたしが分からなくなったのだ。
これは、去年までのわたしのおはなし。
五感の快不快からリハビリし、今は、自分を探し出した。
感情とは、感じるために存在する。