中3国語、俳句の授業をダイジェストでお送りします(前編)
中学校で国語を教えている私。
たまには授業の話でもしてみます。
本校の3年生は、今俳句の勉強を始めたところです。
来週行われる文化祭で、彼らは自作の俳句を色紙に書いて展示します。
ということで、私は急いで「俳句とは何か」を教え、「こんな俳句作ってみたい!」「この俳句ステキ!」という前向きな思いを持たせなくてはいけません。
なんていうと偉そうですが、「俳句、結構楽しい!何か作ってみようかなぁ🎵」と思っていただければそれでよし、です。
教えられたものをどう感じるか、どう生かすかは本人次第ですからね。
とはいえ、私自身が俳句や短歌の背景を勝手に深読みするのが好きなので、つい授業にも力が入ってしまいます。
いやだから、語りすぎると文化祭に間に合わないからね。
いやでも、俳句の楽しさはきちんと味わわせてあげなければ!
心の中の天使と悪魔がせめぎ合う中での授業です。つらい。
ここからは、「短時間で俳句とは何かと俳句の楽しさを説明しようとした授業」についてダイジェストでお送りします。
俳句の基本、575と季語の確認。これは中3生、当然知っています。
俳句は小学校でも結構作りますもんね。
光村図書の教科書には、「俳句の可能性」というタイトルで、俳句5句と解説文が載っています。
が、これを先に読んでしまうと自由な解釈の楽しさを奪ってしまうような気がするし、中学生ウケする俳句も紹介したいし、ということで、まずは自作のプリントに載せた俳句を紹介します。
①パプリカを食べない息子が踊ってる
一日2時間パプリカビデオ
『はい、575ですね。じゃあ季語は?』ときくと、控えめに「パプリカ…?」と返ってきます。
『パプリカの季節っていつ?』とさらに聞くと、「夏?でも一年中なくない?わからない!」と返ってきます。
『パプリカ、というかピーマンの季語は夏。
でもここでは、野菜としてのパプリカというよりは、みんなも知ってるあの曲を連想させるものとして使われているよね?』
「あ、パプリカ!」やっとこの句の示す本当の意味に気づいたようです。
『このように、575だけど季語がなく、ちょっと面白い内容や言葉遊び、風刺的な意味を持つ句を川柳といいます。これは、何年か前のサラリーマン川柳の最優秀作品ですねー』と説明。
なぜか「サラリーマン川柳は、サラッと川柳という名前に変わった」ということを知っている生徒もいました。応募しているのか。
俳句の勉強なのに、川柳から紹介。
比較して考えることは大事な思考方法ですからね!
②先輩のボタンを貰ふ花の下 黛まどか
これは、見た瞬間生徒も「あ、卒業式!」と情景を想像できる句。
花といったら桜、桜といったら春、と、すんなりイメージしやすい句です。
そして、「俳句で恋愛っぽいこと詠めるんだ」と生徒にお伝えできる句でもあります。
俳句といったら「チューリップ あかしろきいろ きれいだな」とか「なんか蛙が池に飛び込むヤツ」と思っている生徒たちに、ちょっとしたショックを与えておきます。
『この子は、先輩のボタンもらえたかな?どう思う?』
「貰ふ、だからもらえたんじゃない?」
「いやー、でもボタンもらっちゃったら、その後付き合うとかなくない?」
ふふふ、妄想沼に片足突っ込んだわね。とほくそ笑む私。
③いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規
これは教科書に解説文も載っていますが、正統派の俳句をしっかり解釈する楽しみを味わい、表現技法を勉強するために、あえてプリントにも載せています。
2年生の時に「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」で、晩年の正岡子規については勉強しているはずなのですが、誰も覚えちゃいません。
『いくたびもは何度も、の意味。なんで雪の深さを何回も尋ねるのかな?』
「…知りたいから?」
『知りたいなら自分で見れば良くない?』
「あー確かに。なんでかな?」
こんな風に、全体に話しかけるとあちこちからお返事が返ってきて、近くの席の友達と議論してくれるクラスです。授業やりやすい…。
『知りたいのに、自分で見ることができない。なんでだろうと思うし、そのもどかしさが感じられるよね。実はこの正岡子規さん、この頃脊椎カリエスという病気にかかっていて、ほとんど寝たきりだったんだって。だから、一日中窓の外を見ているしかない。雪が降り続いていることはわかるけど、どれだけ積もったかは分からない。だから、人に何度も聞くんだね』
「あーなるほど」
『という作者の情報を聞くと、外を見られないもどかしさや寝たきりの自分に対する悲しさ、と解釈できるけど、全然作者の情報がなかったらどう?【あー、足ケガして立てん!しかも何回聞いてもオカンは雪の深さを見に行ってくれんし。腹立つわー!】とも読めちゃわない?』
「読めるーw」
『こんな風に、おそらく正解と思われる解釈がある場合もあるけど、読者が自由に想像して解釈できる余地があるのも、俳句の楽しいところだよ』
「ほほー」
ここではついでに、【や・かな・けり】に代表される【切れ字】についても勉強します。
【切れ字】は、もうこれ以上は言えない、という感情を表す言葉。「〜だなあ。しみじみ…」と訳すくらいがちょうどいい感じ。
切れ字の前にある言葉が、その句の感動の中心であることをおさえます。
これがわかっていると、解釈するのも自分で作るのもぐっと簡単になる気がします。
④古池や…
おっと、この日は前半に漢字テストをやったので、ここで授業時間が終了です。
ちょっと早いけど、今日の授業の振り返りを書いて終了です。
ということで続きは次回!
ダイジェストも長くなったので、後編に続きます。
追記:続きはこちらです。
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