【短編小説】ももいろ秋桜の舞う空 #1 ~ 肌寒い秋の季節に ~
野原に寝そべって空を眺めた。太陽が傾き、空は濃いオレンジ色に染められていく。蒼く透き通った秋の空に、長大に連なるうろこ雲がのびている。悠二は雲の形を指でなぞった。
「生きるって寂しいことなのかな……。もしも夢の世界があるなら、ぼくをそこへ連れてってよ」
そばで寝そべる灰色の子犬の頭を撫でながら言った。
気まぐれに吹く風に、髪を乱された。乱れた髪を、そっと耳にかける。伸びすぎた髪に、鼻のてっぺんをくすぐられるたび、手荒く鼻を手で擦った。花の香りを嗅ぐときにも鼻のてっぺんがむず痒い。その感覚に少し似ていた。
野原で寝そべる悠二の横には、優しい桃色をしたコスモスが風に揺れている。
悠二は幼いころに両親を事故で亡くし、祖母のタエに育てられた。悠二にとって、たった一人のかけがえのない存在だったタエも、三か月前に病気で倒れた。中学二年生の悠二にはあまりに苛酷な現実だった。それから学校に通うことをやめた。
悠二は入院中のタエの見舞いに毎日通った。どんなに悲しくても、寂しくてもタエの前では涙はみせない。そう決めていた。
今日もいつも通り学生服に着替えて病院へ行く。そして、いつもと変わらぬ笑顔でタエに話しかける。その話でタエの喜ぶ顔が見たかった。ただそれだけが悠二の楽しみだった。
悠二は田舎町にひっそりと佇む古びた家で暮らすことには慣れていた。タエが入院してから炊事洗濯、何もかも一人でこなした。幼いころからタエの手伝いをしていた悠二にとって、家事をすることはそれほどたいしたことではなかった。
暑い夏がすぎて、田舎町が秋の雰囲気へと移り変わった頃、タエが突然家へ帰ってきた。
何も聞かされていなかった悠二は作りかけの昼食を投げ出して、玄関から慌てて外に飛び出した。車のエンジン音が響き、看護師の女性にボックスカーから肩を支えられて降りてくるタエの姿が目に入ったのだ。
「ばあちゃん!」
悠二は思わず叫んだ。タエを支えながら付き添っているのは、看護師の住田さんだった。悠二が見舞いに行けば彼女はいつも悠二に優しく接してくれた。
悠二はすぐさま駆け寄り、タエを部屋の座椅子まで腕を支えながら連れて行った。
タエを座らせた後、住田が一息ついて、悠二に事情を説明した。孫が心配だから、数日だけ家に戻してもらいたいとタエに頼まれたという内容だった。
話し終えたあと、住田は、「何かあったらここに連絡してちょうだいね」と言って悠二に病院の電話番号が書かれた紙を手渡してきた。複雑な気持ちを隠せない悠二は、こくりと頷くことしかできなかった。
住田は、「それじゃ、明日の午前中にはお迎えに来ますからよろしくお願いします」と、玄関口で悠二に告げて早々と職場へと戻った。
入院してから三カ月でタエの足腰がかなり衰えていることに、悠二はショックを隠しきれなかった。家に帰ってきてくれる喜びよりも、なぜか悲しみのほうが大きかった。
涙を堪えて悠二は笑顔で接した。
「おかえり。ばあちゃんいきなり帰ってくるからびっくりしたよ。もう病気治ったのかと思ったら、違うみたいだし……」
タエが、吐息をはきだすように悠二に言った。
「わたしは、やっぱここが落ち着くよ。あんたのことも家のことも心配で、あそこじゃどうも落ち着かなくてねぇ」
「ぼくは平気だけど……。それより、ばあちゃんこそ大丈夫?」
悠二がすぐに言葉を返した。
入院した時と比べても、タエの顔はずいぶんやつれてみえた。毎日病室でみるタエの姿とはまた少し違っていた。心配そうな悠二の様子を察して、タエは気丈に振舞っていることもわかっていた。
「それよりあんた、今日は学校休みかね?」
悠二は、はっとして一時動揺したが、すぐに今日は日曜であることを思い出して安堵した。
「ばあちゃん、何言ってるんだよ。今日は日曜だろ? 学校は休みで、今から昼ごはん作って食べようと思ってたところなんだ。あっ、やっべ~、湯わかしてたの忘れてた!」
そう言って、悠二は台所へと急いで戻った。やかんがカタカタ音を鳴らしながら激しく揺れている。作りかけの昼ごはんの準備をしながらでも、タエのことが気になっていた。
しばらくして、「お茶漬けだけど、ばあちゃんも食べる~?」
悠二は、タエのいる隣りの部屋まで届く声で言った。返事がないので横の部屋を覗くと、タエは寝息をたてて眠っていた。どうみても体調は良さそうにない。悠二は、そっとタエに掛け布団をかけた。
台所に戻り、茶漬けを胃に流し込むようにたいらげ、ご飯を盛った茶碗と茶の入った急須をおぼんに乗せてタエのそばへ持って行った。
台所の流し台の窓から野原が見える。そこから西日が眩しいほどに射し込んでいる。その夕日に、鼻歌を歌いながら食器を洗うタエの顔が照らされていたことが遠い昔のような気にさえなる。タエが病気になるまでは見えなかった流し台の窓からの景色が、今では少し背伸びをすればかすかに覗けるようになった。
「秋になったら、あそこの野原はコスモスでいっぱいになるんよ。わたしがここへ来た時からずっとここからの景色は変わっとらん」と、眼尻にしわをよせながら嬉しそうにタエが言う姿を思い出した。
両親が死んで、この家に連れて来られたときに、タエの口からはじめてその言葉を聞いた。口癖のようにタエはそれを悠二に言い聞かせた。
寂しさで涙ぐむ悠二を見ては、いつもタエは、「ゆうじ、お散歩でもいくかい? 野原へきれいなお花、見つけにいくかい?」と言って優しく手をつないで外へ連れ出してくれたことも度々あった。
悠二はタエと一緒に野原へ行けば張り裂けそうな心が一瞬和んだことを鮮明に覚えている。そして、幼いころに両親が買ってくれた童話の本を胸に抱き寄せて、けっして離さなかったことも。その本を今までに何回読んだだろうか。友達もいない悠二は、本を読むことで寂しさを紛らしていた。
ふと、その本を悠二は机の真ん中の引き出しの奥にしまっていることを思い出し、思い立ったように探し始めた。少し引き出しの中のものを手でかき出せば、すぐに表紙が破けた薄っぺらい文庫本が出てきた。みすぼらしく褐色に変色している。
表紙に書かれた“クリネ国からの贈り物”というタイトルが薄く消えかかっていた。木製の机が置かれてある和室から、タエの寝ている部屋へと移って縁側に腰かけた。
やけに懐かしく感じて、思わず無造作にページをめくった。途中のページに、小さく折られた金色の折り紙が挟まっている。そのページから悠二は無意識に読み進めた。
#2に続く