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天皇の祭りの「米と粟」

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神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭で、もっとも重要な神饌は「米と粟」の御飯(おんいい)です。なぜ「米と粟」なのか、なぜ「粟」なのか?
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大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

 先月、政教関係を正す会のシンポジウムで、大嘗祭が稲と粟の複合儀礼であることについてお話ししたところ、旧知の神道学者から「新嘗祭と異なり、大嘗祭には粟は登場しないのではないか」というご指摘をいただきました。

 著名な研究者からの指摘ですから、無視することはできません。まして、「大嘗祭は稲と粟の複合儀礼ではない」ということだとすると、私の年来の主張はもう一度組み立て直さないといけなくなります。

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宮中新嘗祭「粟の御飯」の調理法への疑問。うるち粟だけでは竹折箸でつまめない(令和4年11月6日、日曜日)

宮中新嘗祭「粟の御飯」の調理法への疑問。うるち粟だけでは竹折箸でつまめない(令和4年11月6日、日曜日)

前回、書いたように、宮中新嘗祭の粟の御飯(おんいい)を再現する実験を繰り返し試みている。

もち粟ともち米を5対1の割合で混ぜ合わせ、数時間、吸水させたのち、炊飯器のおこわモードで炊いてみた。おにぎりにすると、もうこれ以上、もち粟の比率を上げるとポロポロに崩れて、おにぎりにならない限界であることが実感された。

神嘉殿での供饌の儀で、天皇は竹折箸を用い、御飯を供饌され、直会されるのだから、この調理

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なぜ粟の存在を無視するのか──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4(2016年5月2日)

なぜ粟の存在を無視するのか──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4(2016年5月2日)

 竹田恒泰氏の天皇論を批判的に考察しています。

 竹田氏の『皇統保守』の第二章は、原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判の標的にしています。当然、お二人の結論は異なるのですが、前提はあまり変わりません。

 原氏は天皇の祭りを「農耕儀礼」と考え、竹田氏は「稲作儀礼」とお考えのようです。しかしいずれも間違いだと私は考えます。

▽1 新穀を神人共食する「農耕儀礼」

 原氏は月刊「現代」2008年5月号に

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「米と粟の祭り」を学問的に深めてほしい──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その5(2016年5月3日)

「米と粟の祭り」を学問的に深めてほしい──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その5(2016年5月3日)

 竹田恒泰氏の天皇論批判を続けます。

 これまで、天皇の祭祀は皇祖神だけを祀るのではないこと、「稲の祭り」ではないこと、つまり宮中祭祀に関する事実認識に誤りがないか、などと指摘してきたつもりです。

 今回はもう少し大嘗祭=「稲の祭り」説にこだわってみます。

▽1 なぜ鎌田氏を引用するのか

 竹田氏は共著のなかで、大嘗祭が「稲の祭り」であることを説明するのに、鎌田純一氏(神道祭祀)を引用して

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大嘗祭は「稲作中心」社会の収穫儀礼か?──検証・平成の御代替わり 第7回(2011年10月8日)

大嘗祭は「稲作中心」社会の収穫儀礼か?──検証・平成の御代替わり 第7回(2011年10月8日)

 政府関係者の著書や政府・宮内庁の公式記録をもとに、平成の御代替わりを検証しています。今日は最終回、大嘗祭について、です。

▽1 宮内庁内で本格化した検討

 宮内庁がまとめた『平成大礼記録』(平成6年)をもとに、昭和天皇崩御後の政府・宮内庁内の出来事をあらためて、時系列で追ってみます。

平成元年2月24日、葬場殿の儀、大喪の礼が終了しました。宮内庁の記録にはどういうわけか、言及されていません

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神嘉殿新嘗祭の神饌は「米と粟」──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」3(2019年7月14日)

神嘉殿新嘗祭の神饌は「米と粟」──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」3(2019年7月14日)

(画像は荷田在満『大嘗会便蒙』から。「御飯二杯」が米御飯と粟御飯である)

 歴代天皇は日々の祈りを欠かせられなかった。清涼殿での石灰壇御拝がそれだが、皇室第一の重儀とされてきたのは新嘗祭である。新穀を捧げて祈るとされているが、新穀とは稲ではない。稲だけではない。

 昭和天皇の祭祀に携わった八束清貫・元宮内省掌典は、「この祭りにもっとも大切なのは神饌である」と指摘し、「なかんずく主要なのは、当年

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天皇はなぜ「米と粟」を捧げるのか?──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」4(2019年7月21日)

天皇はなぜ「米と粟」を捧げるのか?──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」4(2019年7月21日)

日本の稲は栽培種であり、帰化植物である。日本列島に自生する稲はない。粟がエノコログサを原種とする穀物であるのとは異なる。

 植物遺伝学者・佐藤洋一郎氏の「日本稲の南北2元説」によれば、日本の稲には遺伝学的に2つの源流があるという。ひとつは東南アジアの島々から伝わってきた陸稲的な熱帯ジャポニカで、そのあと、もう一つの中国・揚子江流域を起源とする水稲的な温帯ジャポニカが伝来した、と説明されている。

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伊勢雅臣さん、大嘗祭は水田稲作の農耕儀礼ですか?──国際派日本人養成講座の大嘗祭論に異議あり(2019年11月24日)

伊勢雅臣さん、大嘗祭は水田稲作の農耕儀礼ですか?──国際派日本人養成講座の大嘗祭論に異議あり(2019年11月24日)

(画像は令和の大嘗宮)

 伊勢雅臣さんの「国際派日本人養成講座」は定評あるブログで、私もファンですが、11月17日の「大嘗祭」はいただけませんでした。思い込みに囚われ過ぎているからです。とはいえ、他人様の文章にいちいちケチをつけるのも大人気ないし、唇を噛んでおりました。

 しかし、渡部亮次郎・元NHK 記者主宰の人気メルマガ「頂門の一針」に転載されるに及んで、看過できなくなりました。というわけ

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粟餅を食べたら、ふたたび疑問が湧いてきた──粟の御飯の調理法(令和4年12月26日、月曜日)

粟餅を食べたら、ふたたび疑問が湧いてきた──粟の御飯の調理法(令和4年12月26日、月曜日)

年内最後の実験を試みた。

国産のもち粟を使用し、12時間吸水させたのち、今回はお茶の粉末を入れ、よくかき混ぜて、炊飯器の白米おこわモードで炊いた。炊き上がったら、すりこぎで餅につき、半分はそのまま丸め、残りは粒あんをつき入れてから丸めた。

画像の手前が前者で、奥が後者である。粒あんをつき入れたのは、神武東征のおりに作られたという「つき入れ餅」の故事を思い出したからである。にわかに船出することに

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神道学への疑問。なぜ「粟」の存在が見えないのか?──真弓忠常「大嘗祭」論を読んで(令和4年12月4日、日曜日)

神道学への疑問。なぜ「粟」の存在が見えないのか?──真弓忠常「大嘗祭」論を読んで(令和4年12月4日、日曜日)

新嘗祭・大嘗祭は明らかに「米と粟の祭り」である。先々週、宮中の聖域で行われた新嘗祭で、陛下は神前に「米と粟」の新穀を供饌され、直会されたはずである。神事のあり方は古来、変わっていないはずである。

ところが、正確な情報を社会に提供しているはずの神社検定の公式テキストや著名神社の宮司を歴任した神道学者までが、新嘗祭=「稲の祭り」説に固まっている。そのため、前回、書いたように、これらを参考文献とするS

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宮中新嘗祭が「米と粟の祭り」である理由──台湾パイワン族の祭祀から考える(令和4年11月20日、日曜日)

宮中新嘗祭が「米と粟の祭り」である理由──台湾パイワン族の祭祀から考える(令和4年11月20日、日曜日)

台湾総督府のパイワン族リポートを読んで、もっとも衝撃的で、なおかつ得心したのは、粟を神聖視するパイワン族が稲作を禁忌していることだった。首狩の習俗を持つ台湾先住民にとって、米は文字通り、敵対する敵の作物なのである。

そのことはいまの日本人には理解が難しい。農家が田んぼも畑も作るのがふつうだと考えるからである。けれども、かつてはそうではなかっただろう。ヤマとサトは別の文化圏であり、粟と米はそれぞれ

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台湾総督府が記録する台湾先住民パイワン族の粟の祭祀──禁忌された稲作(令和4年11月18日、金曜日)

台湾総督府が記録する台湾先住民パイワン族の粟の祭祀──禁忌された稲作(令和4年11月18日、金曜日)

台湾の先住民が粟を食べ、粟の祭祀を行っているというリポートがある。大正期に台湾総督府蕃族調査会が取りまとめた『蕃族(番族)調査報告書』シリーズで、第5巻にパイワン族のことが書かれている。宗教的分野でもっとも進んでいる先住民と説明されている。

国会図書館のデジタルコレクションで、誰でも、好きなときに読むことができるので、一読をお勧めしたい。

リポートによると、パイワン族の食生活は、主食物は芋やサ

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粟菓子ではなかった銘菓「粟津の里」から皇統論の混乱を憂う(令和4年1月13日、木曜日)

粟菓子ではなかった銘菓「粟津の里」から皇統論の混乱を憂う(令和4年1月13日、木曜日)

滋賀県大津市膳所(ぜぜ)の菓子司・亀屋廣房の銘菓「粟津の里」を美味しくいただいた。手に取るとじつに軽い。口に含むとサクッとした口当たりのあと、しっとりとした味わいが続く。半生の食感を楽しみながら、古代に思いを馳せ、そして皇統の行く末を思った。

なぜ粟のお菓子から皇統を思うのか?

そもそも「膳所」はなかなか読めない。文武両道の名門・県立膳所高校の名声で、私などはその地名と読みを知った。

▽1 

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もち粟とうるち粟を合わせ炊いてみた──宮中新嘗祭「粟の御飯」を再現する(令和4年11月9日、水曜日)

もち粟とうるち粟を合わせ炊いてみた──宮中新嘗祭「粟の御飯」を再現する(令和4年11月9日、水曜日)

宮中新嘗祭の粟の御飯(おんいい)を再現する実験を続けている。

これまではもち粟ともち米を合わせ、炊飯器のおこわモードで炊くという方法を採ってきた。古代人はもち粟を甑で蒸したのだろうと想定したものの、もち粟100%で試みる自信がなかったからである。

宮内庁掌典職OBの話を聞いて「12時間以上吸水させる」ことも分かった。同時に、もち粟とうるち粟と混ぜるという事実も知ることとなった。

それでいよい

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