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サービスを開始し、六年が経過し未だ根強い人気を誇るグランブルーファンタジーというゲーム 自分もありがちな話だが何度も放置したりしながらだらだらとやっている 今回の内容のキモとなるので自分はどれくらいやっているかは後述したい 何かと「古戦場から逃げるな」や「お持ちでない??」「手厚いサポートの牢獄」などマイナスイメージが先行しがちな印象を受けるがもちろん良い面もある 良い面 1.アニバーサリーイベントや公式生放送などがあった際の配布物が美味いサービス六年目にしてサービス
導入と注意書き 人間関係に関する悪癖というのは皆何かしらあるとは思っている。 良くないなぁとは思いつつもって奴である まずもって念頭に置いていただきたいのは別にこういう悪癖があるのでこの記事を見るかもしれない友人などにどうこうしてほしいとか俺に合わせろとか思ってないので悪しからず。 俺の悪癖は俺の問題なのでなんとかしてほしかったら直接言うわ 覚悟しとけよ(?) 本題 結構Twitterとかでぼやくので知ってる人は知ってると思うが自分は 「他人の好感度を勝手に推し量
非常に月並みなことである。 でも大切かなぁなんて思う事だ まぁ日記なんだが 先日、すごく久しぶりに会う友人たちと会って話をした 色々話をしたが一節 「あれ?お前髭マスクだから手抜いた?」 ドキッとした 自分は髭が濃い めっちゃ伸びてくるしめっちゃ多い 嫌だなぁーと思ってる部位、所謂コンプレックスだ 「つかもみあげと繋がんの?それ」 うわーやだなーと思いながらも「うん、めっちゃ多いからな、うぜぇよこれ」と答えた 「いやでも羨ましいぜ、才能だべ」 「そう
あ、どうもお久しぶりです。 なんか生きてました して表題の通りなんですが、最近わたくしFF14を始めまして 全然一ヶ月も経ってないんですが最初から暗黒騎士をやろうと思って始めたんですよ 別にタンクは好きじゃないんですが鎧着て両手剣で両断したいじゃないですか、男の子は して艱難辛苦を乗り越え取得して50のクエまで終わったところで書いてるわけですわな んで所感よ この蒼天に入ってすぐのタイミングでやってよかったかなとまずは思った 新生の終盤から「その背中に背負って
最近なにかと取り沙汰される自己肯定感 己がよく見るだけかも知れんが… まぁこいつの話だ 初めに言おう 親しい人間なら分かると思われるが僕は自己肯定感が低い 無いと言っても差し支えない いつからと言われても非常に困るが中学時代くらいに異性に「君はとっても優しいから」というニュアンスの内容を告げられたが 「いやいや、俺なんかより優先されるべきはそっちなんだからそっちを重んじただけなんだよなぁ…」 と思った記憶がある もちろん伝えてない、言われても返しにくく無い?
他者に対して自身が100の好意を持っていたとする その他者の言動などから推察出来る自身に向けられる好意と自身が抱く好意が釣り合わない場合に僕は非常に興味を無くす 人間臭いと言えばまぁ聞こえがいいが自分に興味が無さそうな人間と付き合う事は非常に苦痛なので自分と話をしたそうな人、話が合う人、好きな人だけと関わって生きていきたい 前述したものを見れば如何様に身勝手かわかるとは思うけど一度「うわーもうこいつ嫌いや無理」となったらどれほど仲が良かったとしてもほぼほぼもう立ち直せな
少し前にTwitterにて考えたことをまた長くなりそうなのでこっちで書こう 何点かnoteでも見かけるが物事を考える際に脳内でどう処理するかについて 自分の話をすると音声が流れる 字面だけ見ると怪しいな・・・ 例えばで言えば、 小説を読むときに文字を目を追いつつ頭の中で音声が流れている Twitter見ていてもそうなる これの面白いところが自分の声ではないということである 自分と年の近い男性の声が基本的だけど、 別にそれだけじゃなくても意識すれば出せるって言
どもどもお久しぶり?です 生きちゃってましたなんかしらんけど 表題の通りなんですが、まぁ書くって言ったし覚えてる内に書いとこうかなって思います よろしくお付き合いください(いっくんTVおもろいよ) んでまぁ駆け足に書いてるわけですがとりあえず最新の拡張の大筋までは終えたってんでざっくばらんと今までの総括までしようと試みてるわけですが 駆け足で書いてんのに何してんだろうな、未完の大作より完成する拙作だぞという眼差し 新生わり、あんま覚えてねぇわ とも言ってらんねぇ
皆さんは自身について確固たる”自分像”を持って生きているだろうか? 己の指針、信条はこうであり 支えがなくとも人生という大海を征く羅針盤はその手中に収められているだろうか? 俺はない さて俺らしくなったな いざいざ意識を低めに構えていこうと思う 確固たる理念、信条、思想、意思 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」とマカ・アルバーンも言っていたが精神と肉体の因果関係は大なり小なりあるとは思う して己の自分像というものであるが 断言しよう俺は明確にはない 京楽
数回前に書いた好感度の話に付随するような 多少の深掘りをして見るかって感じ 俺は良くも悪くも他人にあまり興味がない ここでいう他人は以前の記事に準ずるようにモブとかそんなもんだ この範囲の差異が人間を生きにくくしてるように感じるってのもあるよな 俺からは興味ないけど向こうは知ってて「え??」ってなることが多い その逆も然りって感じ 自分は正直知人以上くらいから認識し始めて興味を持ち始める 友達の友達とかも「俺の」友達でないなら特にって感じ 逸脱して来ないなら
名前、それはこの世に生を授かり 親が子に与える最初のプレゼントだ なんて俺は親に言われたわけですが 想起してみれば己が生涯を振り返りつつ名前で呼ばれることって少ねぇななんて思ったことにこの記事は端を発しておりやす 名がある以上他人から呼ばれることは必定とも言えるべきですが こと世間に置いて 他人からどう呼ばれるか これってなかなか厭らしい問題ではなかろうかと思うわけです ゲームの世界とは違い他人からの好感度を視覚化することは能わず 日々の人間関係は事象をもって推し
ええ お久しぶりでございます 再三再四書こうかなと宣っておきながら 書けねぇ~~~~~~~~~~~~~~って感じでしたが 自分のことを書くなら書けそうってかんじなので始めていきやす 今年は歳男ということで因果関係はわからんですがいろいろと変化はあったなぁという感覚ですね まぁ根本的に変わってくのはいつも風景って感覚があるので己は特段変わった感じはないかな 昨年はほとんど働いてなかったんでメタ糞に金がねぇって始まったわけですが やる気と金が有ったことがないのでそ
人には思考が許されている それ故に苦しみ項垂れ嘆くことも多い訳だが 前提として俺は常日頃より生きにくさを感じてる 上手く生きれない そう感じており 生きてる事に能動的ではない そこも上手く生きれないなと思う要因かもしれないが ただこうして嘆いていて ふと思った事がある ならばどうしたら生きにくさを感じず、どうあれば俺は満足するんだろう 到達点は? 目指すべきゴールとは? 人は誰しも到達点やゴールを望む ゴールや到達点自体を夢と規定して呼んでいる人も多
前置き今回は怒ることに関する話題 まずもって怒るということの定義から 感情の発露だけというのは怒るじゃなくて怒鳴るとかがなり立てると扱いまっせという感じ 認識的には説教とかそんなのが近しいイメージかなぁ して詰まるところ怒るってのはつまりは改善要求じゃねぇかってのが持論なんですわな 変えて欲しいから怒る 良くして欲しいから怒る どうでもいい人や物、事柄には怒りやらは沸かないからってこと そうしてまぁ怒るという改善要求したなら 是正されているか見届ける義務が生ま