自己肯定感の話
最近なにかと取り沙汰される自己肯定感
己がよく見るだけかも知れんが…
まぁこいつの話だ
初めに言おう
親しい人間なら分かると思われるが僕は自己肯定感が低い
無いと言っても差し支えない
いつからと言われても非常に困るが中学時代くらいに異性に「君はとっても優しいから」というニュアンスの内容を告げられたが
「いやいや、俺なんかより優先されるべきはそっちなんだからそっちを重んじただけなんだよなぁ…」
と思った記憶がある
もちろん伝えてない、言われても返しにくく無い?向こう的に
まぁ根深い話なんだが今回の話の指向性は
「ほーん、そんな奴もいんだな生きにくそう…」
とか思ってもらえる感じとしておこう
僕、こんな感じなんです!可哀想でしょ!ってならないように気をつけたい
んじゃまぁ最近自分が好きだと言って憚らない友人と全く理解が出来ないが故に根掘り葉掘り聞いて得た一応の結論を明示したい
自己肯定感とは妥協なのではないか
そう妥協
勝手な印象だが自己肯定感がモリモリの最強自分大好きマンはおそらくやる事なす事全て気に入っているんだと思っていた
好きな己がなした事だから最高みたいな
違ったらすまん、自分にはない物なので
でもそいつ曰く
「まぁー俺ならこんなもんでしょ、別に悪くもないし」
という事らしい
まず思ったのは
ボーダーが思ったより低いな
と思った
こんなもんで良いんだな、それで得心行くのか
なんか嫌味だなぁ…
ただ本当にそう思った
仮に自分が何かをしたとしたら
「これで良いんだろうか」
と思う
仮にこの自分の位置をゼロとして
勝手な想像で抱く自己肯定感がモリモリの自分が好きな人は
「完璧だ、流石俺」
となるとしよう
これを100とすると友人のこんなもんっしょというのは己の中だと50-60の感覚
自分の事を好きと言えるようになるのは100必要だと思ってた自分からするとボーダーが低いなって事
やたらと声高に自己肯定感を高めよう!自分を愛そう!なんて言われても…となるけど
せいぜい50-60辺り目指そうって言われるとまぁまぁ可能な感じがする
これも妥協
別に100無くても良いと受容する事が自己肯定感なんかなと思ってみた
その100に辿り着けない自分を
20や30かも知れない自分を
妥協して受容出来るかが自己肯定感という物なんじゃないかなと思ったわけでありますよ
俺だよ