己の指向性の話
皆さんは自身について確固たる”自分像”を持って生きているだろうか?
己の指針、信条はこうであり
支えがなくとも人生という大海を征く羅針盤はその手中に収められているだろうか?
俺はない
さて俺らしくなったな
いざいざ意識を低めに構えていこうと思う
確固たる理念、信条、思想、意思
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」とマカ・アルバーンも言っていたが精神と肉体の因果関係は大なり小なりあるとは思う
して己の自分像というものであるが
断言しよう俺は明確にはない
京楽秋水よろしく「らしさがないのが僕らしさ」と洒落込むつもりもないが
しかしながら己の指向性というか最低限
「これはやらないかな・・・・」や
「コレぐらいは言うだろう」
もしくは「コレは言わないな」
程度はある
今回の主眼はこいつである
明示出来る自分像というものがなくとも自身の指向性くらいはあったほうが良いんじゃね
そんな話
なにゆえかってことなわけだが
今年になってから二度ほど判断に迷うことがあった
まぁ本人たちには伝えたし備忘録的にざっくばらんに書き連ねていこうと思う
見てたらすまん
書いたわ
結論から二度のイベントを書こう
「受け入れられないことがあったので疎遠になった友人に理由を解説した」
「友人に彼女が出来たが遠慮があったのか言われなかった」
上から行こうか
個人的な話だが自分でもまぁどうかとは思うが俺は一度「うわ、こいつ無理」ってなったら割ともう無理で見放すし関わりもしなくなる人間である
非情と言われたらそこまでなんだがキャパシティを超えてきたって理由があるので此方としても難しい
そして当人にそれを別に説明しない
というか言う人のほうが珍しいと思うんだけど
「お前ここがキモいんじゃ!!!」っていうのか?
残念ながら自分はそこまで優しくはない
人に怒るということはすごく優しいことなのだ(いいネタかもしれないそのうち書くかも)
して今回はざっくり言えばそれを珍しく説明したってことだ
割と仲の良い友人が居る
そいつがまぁある一件より親しい間柄でも「うっわきっしょ無理」ってなったわけだ
そしてもう3~4年くらい経過してた
その間そいつから
「なんかしたっけ俺」とか
「わからないけど何かあったんなら教えて欲しい」とかも無かったのも気に食わなかったわけで
んで
そいつが今度手術をするという
ふとそれを見て風呂に入りながら
「こいつは"苦"を味わうのに俺は説明やらの"苦"から逃げるのか?」
「それは・・・俺らしくないな・・・」
そうしてまぁ久しぶりに連絡して「ここが嫌だったんじゃ俺は」という説明?を行ったって感じ
完全に自己満だからという前置きはさんざんした
まぁなにが正解かわからんがシコリ的なのはあくまでも俺は取れたかなって感じ
んで次
端的に言えば俺はモテん
そこに感情のゆらぎはなく淡々としつつ純然たる事実である
もう身内に対し上記のことで負い目とか恥とかを感じる年齢はとうに過ぎ去り
もはや笑ってくれという面持ちだが
他人からはそうは行かないんだろうなとはやんわりおもってはいた
そんな中で友人が彼女が出来たというのが問い詰めたわけでもなくポロッと出た感じ
そん時は正直2個の選択肢が俺の中にあった
「ふざけんなよ!!何勝手にモテてんだ!!www抜け駆けかよw」
と
「おめでとう!まじで嬉しいwwwよかったぜ身内で全員独り身かと思ったぜ」
どのみち笑いに変える気しかなかったのは美点じゃない?だめ?
まぁええや
んで取った択は後者
「まぁ俺なら正直に褒めるだろうな、喜ばしいことは褒めよう」
っていう考えでそんな感じ
俺なら〇〇するだろう
俺なら〇〇って反応して然るべきだろうって思った
んで思う事
冒頭に確固たる自分像は無いと言ったがこういう
「これはしないかな」
とか今までこんなことを言っておいて〇〇しないのはダサいなとか
そういった思考、言動、行動といった"点"を継続していき
"線"となったその"道筋"が自分像となるのかななんて思います
故に己にはまだないって結論でここは一つ
まだ確立するには生は短すぎたってことだ
俺だよ