アルバイトにどこまで求めるのか、問題
突然だけれど、私は「大学生のアルバイトが講師をしている塾」をあまり信用していない節がある。
別に塾に通うような年齢の子どもがいるわけでもないのでそんなことを考える必要もないのだけれど、最近、「仕事」ってなんじゃらほいということを考えることが多くて、その中で自分の大学生時代のことを思い出した。
私が大学生のころ、色々な種類のアルバイトをしていたが、そのうちのひとつが、学習塾での講師だった。大学受験をする生徒の個別指導もあったり、小学3年生5人を相手に算数を教えるグループ指導もあったり、結構なんでもありな塾だった。
学習塾のアルバイト、というと、大学生にとっては「時給の高い良いバイト」というイメージだが、それを叶えるにはなかなかに要領良くやることが必要だった。そもそも時給は、「実際に授業を行っている間」にしか発生しない。授業の準備をしている時間、教材を自分で予習する(時にはプリントを作成したりする)時間、授業後に生徒とコミュニケーションをする時間、生徒の質問に答える時間、生徒の親御さんとお話をする時間、などは全て、その「高い時給」の中に含まれているお仕事だった。
だから、とても不真面目に言うと、授業以外のことをいかに手早く終わらせるか、が、お金を効率的に稼ぐ勝負だったのだ。そして私は未熟すぎるがゆえに、その「授業以外のこと」を、かなり手を抜いてやっていた。
今でも少し、反省しているところはある。真面目に授業はやったし、もらえるお金同等のことはやったような気がしているが、「きっと求められていることはこれ以上のことなんだろうな」というのは、授業を終えてサクッと帰る私の背中に突き刺さる塾長の痛い視線で、十分に感じていた。そういう意味で、貰えるお金以上のことをする、期待を超えた仕事をする、と言う意味での「プロ意識」は、まるでなかった。20歳そこそこの大学生。残念ながら、自分のことでいっぱいいっぱいで、そこまで頑張る気はまったく起きなかった。(もちろん、そうしたプロ意識をもってやっている大学生バイトも、ちゃんといると思う)
そういう自分自身の経験があるからこそ、「人にものを教える」というのは、それを生業としている人が、こだわりや熱量を持って生徒と向き合いながらやることなのでは、と思う節がある。ある程度成果を問われ、「塾側からクビにならないように」「生徒や親御さんからの人気を保てるように」という最低限のやる気と、「生徒の学力をあげたい」という根本的な強い熱量がないと、できない領域が、たくさんある。
教育って、言葉を選ばずに言うと、本当に面倒だ。むずかしすぎる。わからない人をわかるようにさせる、なんて、こんなに難しいことはないと思う。しかも、未来明るい、子どもたちに対して。そういう難しくて責任のある仕事だからこそ、時給制で、成果に対して責任を負わないアルバイトで十分なのか、という疑問を持ってしまうのだ。そして私は、そこに負い目を感じていた。
正社員とアルバイトの違いってなんなのか。「同一労働同一賃金」って、本質的にはどういうことなのか。
もしかしたら「同一労働同一賃金」を語るにはこの例は適切でないかもしれないけれど、どうすることが一番「仕事のクオリティ」「拘束時間」などの「労働者に求めること」と、それに見合う「賃金」を適切に考えられるのだろうか。「"正社員には"責任があるんだよ」と言われる「責任」って、具体的に何なのか。同じ職場にいるはずの「正社員」「派遣社員」「パート」「アルバイト」などという様々な雇用形態のひとに、どのようなバランスをもって「責任」と「職務」、そして「給与」を与えるのか。
「仕事」って、人がやることだから、本当に難しい。単なる「労働条件」だけでは、すくえない部分があると思う。そのすくいきれない部分をフォローしないと、「同一労働同一賃金」を本当の意味で達成できないんじゃないかなぁ、と、思ったりする。正社員にもアルバイトにも、それぞれ思うことがあるわけだから。
選挙がありますね。ちゃんと意思をもった一票を投じられるように、しっかり勉強したいと思います!
Sae
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