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明治日本の梱包革命・「俵」の改良に生涯をかけた男、遠藤吉平
俵。
古来から、米だけでなく、麦、塩、海産物、肥料等あらゆるものを梱包してきたものだ。
だが明治初期になると、俵の作り方は雑になり、中のものが溢れたり、俵自体が破損するケースが相次いだ。
更に大きさが一定ではないため、場所場所で検査が必要となり不便だった。 この米俵の改良に生涯をかけた人間が、「遠藤吉平」だ。
江戸時代までの米俵は、藩により厳しく管理されていた。 大事な年貢だからだ。
第二次世界大戦で米軍が残していった文学作品
第二次世界大戦は戦線が広い。米軍は様々な戦線に兵隊を送り込んだが、兵士は不満だった。
「移動時間が暇すぎる!」
それまでの戦争と比べてあまりにも長い移動時間は、兵士の不満を貯めるには十分だった。
戦地に着く前に不満が爆発してしまうことを懸念した軍は、本を支給するプランを策定した。
兵士の不満を抑えることが目的なので、内容も戦意高揚的なカタい話ではなく、娯楽小説をメインに据えた。
それが、ペ
「電車」が走っていない徳島の伝説
日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。
ディーゼル車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。
徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖櫃(アーク)が収められており、四国を回るお遍路さんにより作られた結界を「電車」が壊してしまうというものだ。
一体何を言っているんだ? と思われる方もいると思うが、私も同感だ。
だが、徳島の地方紙、「徳島新聞」でもそう説明されているのだ!
ジャパンブルーは藍染の服から
明治時代、来日した欧米人に「ジャパンブルー」と言われるほど人々は藍染の服を着ていた。木綿の服には抗菌性がないため、抗菌性のある藍染をしなければ着られなかったからだ。
だが、日本では藍の染料の栽培場所は限られる。徳島県吉野川流域などが主な産地だ。
藍の適地は暴れ川の近くだからだ。
『四国三郎』と呼ばれた吉野川はよく洪水した。
治水技術が未発達の時代には、台風シーズンによく決壊し、収穫前の米に打
越後平野の守護神・大河津分水のお話
日本有数の穀倉地帯である越後平野。
しかし100年前までの越後平野は、3年に1回洪水が起きる超災害地域だった。
洪水の水は平野に留まり沼地となる。
農業生産性は著しく悪くなり、僅かに取れた米も生育環境が悪く、鳥も食べないという意味の「鳥またぎ米」と呼ばれるほど不味かった。
そんな状況を一変させたのが、大河津分水路だ。
大河津分水の構想は江戸時代からあった。
越後平野の洪水の頻度はめちゃくちゃ高
燕三条、銀食器の歴史
第一次世界大戦で欧州の主要都市が戦果に見舞われ、イギリスでは困ったことになった。
「銀食器が手に入らない!」
開戦前のイギリスは主にドイツから輸入していた。まさか敵国から買うわけにはいかない。
彼らにとって銀食器は単なる食器ではない。
ステータスを表すシンボルでもあった。
だからこそ是が非でも欲しい。
一方日本は大正時代。まだ日本に洋風文化が浸透していなかったため、洋食器はほどんど作られて