にいがたさくら

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にいがたさくら

Twitterのやつを保管します 500~1000文字程度でなんとなく地理や民俗が学べる情報を垂れ流しています。 リクエストは随時受付中です。 プリキュアオタクです。

記事一覧

明治日本の梱包革命・「俵」の改良に生涯をかけた男、遠藤吉平

俵。 古来から、米だけでなく、麦、塩、海産物、肥料等あらゆるものを梱包してきたものだ。 だが明治初期になると、俵の作り方は雑になり、中のものが溢れたり、俵自体…

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第二次世界大戦で米軍が残していった文学作品

第二次世界大戦は戦線が広い。米軍は様々な戦線に兵隊を送り込んだが、兵士は不満だった。 「移動時間が暇すぎる!」 それまでの戦争と比べてあまりにも長い移動時間は、…

デコトラの歴史

戦後の高度経済成長期、成長に伴って水産商品輸送用のトラック輸送の需要は拡大した。 だが北の漁港で取れた魚を運ぶトラックは、海風が強いところや、凍結防止剤が撒いて…

「電車」が走っていない徳島の伝説

日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。 ディーゼル車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。 徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖…

ジャパンブルーは藍染の服から

明治時代、来日した欧米人に「ジャパンブルー」と言われるほど人々は藍染の服を着ていた。木綿の服には抗菌性がないため、抗菌性のある藍染をしなければ着られなかったから…

越後平野の守護神・大河津分水のお話

日本有数の穀倉地帯である越後平野。 しかし100年前までの越後平野は、3年に1回洪水が起きる超災害地域だった。 洪水の水は平野に留まり沼地となる。 農業生産性は著しく悪…

燕三条、銀食器の歴史

第一次世界大戦で欧州の主要都市が戦果に見舞われ、イギリスでは困ったことになった。 「銀食器が手に入らない!」 開戦前のイギリスは主にドイツから輸入していた。まさ…

明治日本の梱包革命・「俵」の改良に生涯をかけた男、遠藤吉平

明治日本の梱包革命・「俵」の改良に生涯をかけた男、遠藤吉平

俵。

古来から、米だけでなく、麦、塩、海産物、肥料等あらゆるものを梱包してきたものだ。

だが明治初期になると、俵の作り方は雑になり、中のものが溢れたり、俵自体が破損するケースが相次いだ。
更に大きさが一定ではないため、場所場所で検査が必要となり不便だった。 この米俵の改良に生涯をかけた人間が、「遠藤吉平」だ。

江戸時代までの米俵は、藩により厳しく管理されていた。 大事な年貢だからだ。

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第二次世界大戦で米軍が残していった文学作品

第二次世界大戦で米軍が残していった文学作品

第二次世界大戦は戦線が広い。米軍は様々な戦線に兵隊を送り込んだが、兵士は不満だった。

「移動時間が暇すぎる!」

それまでの戦争と比べてあまりにも長い移動時間は、兵士の不満を貯めるには十分だった。
戦地に着く前に不満が爆発してしまうことを懸念した軍は、本を支給するプランを策定した。

兵士の不満を抑えることが目的なので、内容も戦意高揚的なカタい話ではなく、娯楽小説をメインに据えた。

それが、ペ

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デコトラの歴史

デコトラの歴史

戦後の高度経済成長期、成長に伴って水産商品輸送用のトラック輸送の需要は拡大した。

だが北の漁港で取れた魚を運ぶトラックは、海風が強いところや、凍結防止剤が撒いてあるところなどをよく通ったため、よく錆びた。
そのため、寒冷地の八戸や石巻などではステンレス板で補強し、錆びないように工夫をしていた。

当時のトラックの運ちゃんは荒くれ者。アウトローな者たちも多い。
彼らは補強ついでにトラックをデコって

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「電車」が走っていない徳島の伝説

「電車」が走っていない徳島の伝説

日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。
ディーゼル車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。

徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖櫃(アーク)が収められており、四国を回るお遍路さんにより作られた結界を「電車」が壊してしまうというものだ。

一体何を言っているんだ? と思われる方もいると思うが、私も同感だ。
だが、徳島の地方紙、「徳島新聞」でもそう説明されているのだ!

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ジャパンブルーは藍染の服から

ジャパンブルーは藍染の服から

明治時代、来日した欧米人に「ジャパンブルー」と言われるほど人々は藍染の服を着ていた。木綿の服には抗菌性がないため、抗菌性のある藍染をしなければ着られなかったからだ。

だが、日本では藍の染料の栽培場所は限られる。徳島県吉野川流域などが主な産地だ。

藍の適地は暴れ川の近くだからだ。

『四国三郎』と呼ばれた吉野川はよく洪水した。
治水技術が未発達の時代には、台風シーズンによく決壊し、収穫前の米に打

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越後平野の守護神・大河津分水のお話

越後平野の守護神・大河津分水のお話

日本有数の穀倉地帯である越後平野。
しかし100年前までの越後平野は、3年に1回洪水が起きる超災害地域だった。
洪水の水は平野に留まり沼地となる。
農業生産性は著しく悪くなり、僅かに取れた米も生育環境が悪く、鳥も食べないという意味の「鳥またぎ米」と呼ばれるほど不味かった。

そんな状況を一変させたのが、大河津分水路だ。

大河津分水の構想は江戸時代からあった。
越後平野の洪水の頻度はめちゃくちゃ高

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燕三条、銀食器の歴史

燕三条、銀食器の歴史

第一次世界大戦で欧州の主要都市が戦果に見舞われ、イギリスでは困ったことになった。

「銀食器が手に入らない!」

開戦前のイギリスは主にドイツから輸入していた。まさか敵国から買うわけにはいかない。

彼らにとって銀食器は単なる食器ではない。
ステータスを表すシンボルでもあった。
だからこそ是が非でも欲しい。

一方日本は大正時代。まだ日本に洋風文化が浸透していなかったため、洋食器はほどんど作られて

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