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明治日本の梱包革命・「俵」の改良に生涯をかけた男、遠藤吉平

俵。

古来から、米だけでなく、麦、塩、海産物、肥料等あらゆるものを梱包してきたものだ。

だが明治初期になると、俵の作り方は雑になり、中のものが溢れたり、俵自体が破損するケースが相次いだ。
更に大きさが一定ではないため、場所場所で検査が必要となり不便だった。 この米俵の改良に生涯をかけた人間が、「遠藤吉平」だ。

江戸時代までの米俵は、藩により厳しく管理されていた。 大事な年貢だからだ。
藩毎に標準を定め、藩による規格化がなされていた。しかし、年貢が金納に変わると米俵に関する管理がなくなり、売買する者たちに委ねられ、次第に安価な梱包方法に変わっていく。

売れれば何でもいい。


そんな状況を函館で廻船業を営んでいた遠藤吉平は憂いた。

出典:函館市文化・スポーツ振興財団http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/01_a/01-endo.html
遠藤吉平氏

彼は俵で大損害を出していた。 蒸気船で函館から品川へ品物を送った俵が破損したからだ。 江戸時代までの習慣では、重さを基準としたやり取りだったが、明治の蒸気船では個数単位に変わる。 荷を気にしながら運ぶのは効率が悪いからだ。 案の定俵は破損。汽船会社は法令に基づき責任なしとされた。

悔しい。

その思いを俵の改良に向け、政府へ建白書も送った。 商工会にも送った。 政府は重要性を理解してくれたが、実際に俵を作るのは生産者だ。
そこで、知り合いの生産者に自ら改良した俵を持ち込み、この俵と同じ作り方で作って売ってくれないかと依頼した。
依頼された側は訝しんだが、実際に売ってみると、俵づくりのコストは上がるが、それ以上の高値で取引された。

イケる。

彼は確信したが、俵は全国で作られるもの。
必要性を理解してくれなければ動いてはくれない。 そこで、全国の商工会議所や内国博覧会等で自ら改良した俵を発表。また、出来の悪い俵を博覧会で産地を明記した上で晒した。
敵を作るような行為だったが、次第に賛同者が増えていく。
また、粗雑な俵の梱包は買い取らないよう商業団体への根回しも行なった。

こうして明治後期に普及した標準俵装により、全国画一の取引が行えるようになった。

梱包とは、商品の価値をも向上させる物。
それにいち早く気づき、生涯を賭して人々に伝えたことに彼の功績はある。

ちなみに現在、米俵の内容量は60kg(4斗)だが、これはこのときの運動の中で、次第に統一されたもので、今の米袋(30kg)にもつながっている。


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