【読書】「きのうのオレンジ」は、どんな生き方をしてきたか他者を通して自分を知る物語。
今年のナツイチで平積みされていて、購入した本。
病院の待ち時間にちょうどいい厚さだったので、呼ばれるまで読んでいたら、序盤の時点で「これは泣くからここで読んではダメなやつだ」とわかり、自宅に戻ってからゆっくりとページをめくった。
主人公は三十代前半の男性・遼賀。
人生これまでパッとしたことはなかったけど、毎日仕事の中で小さなやりがいを感じたり、疲弊したり。いわゆる“普通”な人生を送ってきたレストランの店長。
最近、胃の調子が悪いなと思いながらも忙しいのを言い訳にしてきたが、アルバイトの男の子から、病院に行くように勧められ検査を受けた。
結果は胃がんだった。
母親と弟の恭平、入院した病院で働いていた高校の同級生・泉と、病気を通して遼賀がこれからをどう生きるかを決め、そしてこれまでどう生きてきたかを知る物語。
この小説は、一章は主人公・二章は母親・三章は泉・四章は弟・五章は主人公、の語りで構成されている。
主人公の遼賀は冷静沈着なわけではないけど、感情の起伏が激しいタイプでもなく、病気になって唖然としたり、涙を流すことはあっても誰かに当たったりすることはない。
それが余計に読んでいて苦しかった。
「なんで自分なんだ」と喚いたり、感情を露わにすることがありそうなものの、そんな感情が昂ったシーンは1つもなかった。
どちらかというと、弟の恭平の方が素直に感情を表に出すタイプで、二人は顔は似てても、性格が大きく違う。
でも、とてもお互いを大切に思っているいい兄弟で、両親に言えないことや知らないことでも、兄弟なら共有できる関係。
主人公が、弟に病気を告白したとき、
この文章を読んだ時に、涙が出てきてしまって外で読むのをやめた。
ああ、恭平は根拠がなくても治ることを信じているというより、遼賀が居なくなることを認められないんだと感じた。
はつらつとした人間として描かれていた恭平の弱さが見えた時、遼賀ががんだと知った時より苦しかった。
母親も息子たちを大切に思っていて、遼賀が病気になった時に「もっとこうしてあげればよかった」という感情が溢れ出る。
まさか自分より先に大病を患うなんて思ってもいないだろうから、まだまだこれからの遼賀をなりふり構わず支えようとする。
遼賀はそんな時も、母親を心配する。その優しさが、きっと母親には辛いだろうなと思った。
なんでも話せる恭平にも遼賀は弱音を吐かない。
母親の時と同じく、心配するのは自分のことではなくお見舞いに来る恭平自身のこと。
その中で、唯一弱音をちょっと吐き出せる相手がいる。
それが、入院することになった病院で看護師をしていた高校の同級生である泉だった。
きっと、家族ではないし恋人でもないけど、また違った特別な関係だったんだろう。
泉のすごくいいなと思うのは、言葉に澱みがないところだと思う。
彼女は遼賀がいいとは言えない状態だと、医療現場に携わる人間だから母親や弟よりも現実をわかっている。でも、人間は「奇跡」が起きることも知っている。それを触れてきた回数も段違いだから、言葉に澱みがないんじゃないかと思う。
遼賀が、物語の後半で泉と母校を覗くシーンがある。
そこで、自分は恭平や泉は部活動をしていて輝いていたことは覚えているが、部活もやっていなかった自分は“そこにいた”ことを思い出せずにいる。ふと泉に「いつも職員室にいた気がする」言われ、遼賀も記憶が蘇る。
自分はよく、先生の用事を手伝っていたことを。
遼賀は確かに“そこにいた”。
この言葉を聞いた時、私は遼賀は「雨ニモマケズ」みたいな人だなと思った。パッとしないけど、いつも人のためになっている。
その時気づく人・気づかない人はいるけど、絶対になくてならない人。
欠けたら、一気に崩れてしまうとても大事な存在の人。
きっと、それを学生のころから気づいていた泉もとても優しい人なんだなと思った。
この作品は病気が発覚して、これまでを後悔して、これからをどう生きるかだけの物語ではなく、これまで自分が普通に生活している中で存在が平凡だと思っていた人生だったが、周りにとって自分がどんな存在だったか、どんな影響を与えていたかを知る物語だと感じた。
遼賀のように家族関係がうまくいってる人生ではないけど、それでも今自分の周りにいる身近な人に、今大切に思いやりを持ってどれだけ寄り添っていけるか。
その結果が自分が病気や最期を迎えるとき、どんな人間だったか浮き彫りになるんじゃないかと思う。
自分自身が思っているより、普通に生きているだけでも他者に与える影響は大きいのかも知れない。