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まいにち易経_1023【謙虚の徳:高みを目指す謙遜の力】盈を虧きて謙に益す[15䷎地山謙:彖伝]

彖曰。謙亨。天道下濟而光明。地道卑而上行。天道虧盈而益謙。地道變盈而流謙。鬼神害盈而福謙。人道惡盈而好謙。謙尊而光。卑而不可踰。君子之終也。

彖に曰く、謙は亨る。天道は下済かせいして光明なり。地道はひくくしてのぼり行く。天道はてるをいて謙にし、地道はてるを変じて謙にき、鬼神はてるを害して謙にさいわいし、人道はてるをにくんで謙を好む。謙は尊くして光り、ひくけれどもゆべからず。君子の終りなり。

「謙は亨る」この命題は、謙虚の徳が物事の成功を導く根拠を自然界の原理に求めるものである。天の道、すなわち自然の摂理においては、陽気が下降して万物を救済し、光り輝く。天道の運行は、九三の陽を示す、満ちたものは必ず欠け、不足するものは必ず増すという変動の原則を内包する。この原則は、月の満ち欠けや陰陽の交替に明瞭に観察される現象であり、自然界における普遍的法則の反映である。
加えて、地の道は低い位置にあるが、陰気が常に上昇する特性を有しており、地が上卦に位置する。この陰陽の気の交流により、天地の調和が成り、事物は亨るに至るのである。地形的な観点においても、高き山は自然に削られ、低き谷には水が集まり大河となる。すなわち、自然界の法則に基づき、低きものには富が集積され、充実を迎えるという形勢が形成される。
さらに、古代中国の思想体系において、鬼神(神霊)は傲慢な者には禍を、謙遜な者には福を与えると信じられてきた。これは人情の常としても理解されるところであり、社会においても、驕慢な人間は忌避され、謙遜な人間は尊敬を受ける傾向がある。特に、謙遜な人物が高位にあれば、その徳はさらに輝きを増し、低位にあってもその徳行によって自然と他者の上に立つ存在となるのである。これが卦辞における「君子終りあり」との言葉に示される道理である。
彖伝の中でも、この「謙」の卦は特に高い調子で論じられている。このことは、彖伝の著者が謙遜の徳をいかに重視していたかを示唆するものである。儒家のみならず、老子の道徳思想においても謙遜が説かれており、この徳が広範な思想体系において尊ばれてきたことが明らかとなる。

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易経には「えいきてえきに益す」という言葉があります。これは「満ちたものを欠けさせ、へりくだるものを益す」という意味です。言い換えれば、「高慢な者は衰え、謙虚な者は栄える」ということです。これは、私たちの日常生活でもよく目にする光景ではないでしょうか。高慢で横柄な人は、たとえ実力があっても周りから敬遠されがちです。一方で、謙虚で誠実な人には、自然と人が集まってきます。

織田信長と豊臣秀吉、この二人の武将を比べてみると面白いことに気づきます。信長は「天下布武」を掲げ、強引な手法で統一を進めました。確かに彼は優れた戦略家でしたが、その高圧的な態度が多くの敵を作ることにもなりました。一方、秀吉はは下級武士の出身でありながら、柔軟な外交と謙虚な態度で多くの大名たちの支持を得ました。「太閤検地」や「刀狩令」など、大胆な政策を実行しながらも、常に「惣無事令」を掲げ、平和的な統一を目指しました。この二人の対比は、まさに易経が教える「謙」の重要性を示しているように思えます。

しかし、ここで注意しなければならないのは、「謙虚」と「卑屈」は違うということです。易経が説く謙虚さとは、自分の価値を下げることではありません。むしろ、自分の能力を正しく認識し、さらに向上しようとする前向きな姿勢のことを指しています。
例えば、会社でプロジェクトを任されたとき、「私にはできません」と言って逃げるのは謙虚さではありません。「まだ経験が足りないかもしれませんが、全力で取り組みます。先輩方のアドバイスをいただきながら、しっかりと結果を出したいと思います」という態度こそが、真の謙虚さと言えるでしょう。

ここで、私の経験を少し共有させていただきましょう。私が若いころ、ある大きなプロジェクトを任されたことがありました。当時の私は、自信過剰で高慢な態度をとっていました。結果、チームメンバーとの軋轢が生じ、プロジェクトは失敗に終わりました。
この経験から、私は謙虚さの重要性を学びました。その後のプロジェクトでは、常にメンバーの意見に耳を傾け、自分の不足を認めて学ぶ姿勢を心がけました。すると不思議なことに、チームの雰囲気が良くなり、結果も自然についてきたのです。
このように、謙虚さは単なる美徳ではなく、実際のビジネスや人生の成功にも直結する重要な要素なのです。

最後に、易経は「謙虚な態度を終わりまで貫いて崩さない。それが君子である」と教えています。一時的な謙虚さではなく、常に謙虚であり続けることが大切なのです。これは簡単なことではありません。成功すればするほど、高慢になりやすいものです。しかし、本当の意味での成功者、真のリーダーとは、どんな高みに達しても謙虚さを忘れない人のことを指すのではないでしょうか。


参考出典

えいきてけんに益す
易経は謙虚、謙譲、謙遜の精神を最高の徳とする。低く謙るものこそが、最も高みに至るといっている。
天は日差しや雨を地に降らせ、大地はそれを受けて、万物を育成し、また天に上昇させて還元する。大地はもとから低く、高い天でさえ低く謙る。
また天は満ちたもの[えい]を欠けさせ、欠けたもの[けん]を満ちるようにする。地は山を谷に変え、また谷を山にする。
鬼神きしんは邪なし」という言葉があるが、鬼神は慢心を嫌い、謙る者に幸いを運ぶ。
人は、たとえ成功者であっても高慢であれば嫌い、謙虚な人には惹かれて手を貸したいと思う。身分が低かろうと、謙虚に生きる人を誰も蔑みはしない。
謙虚な態度を終わりまで貫いて崩さない。それが君子である。「謙」の徳は終わりを飾るものである。

易経一日一言/竹村亞希子

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