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自分の今の習慣のルーツは小学生の頃の読書感想文にあった
小学生の頃から文章を書くことが嫌いじゃなかったたつやです。
今回は、小学生の頃に読書感想文で入賞して県の文化会館に呼ばれた時のお話をしようと思います。
思えば、あの頃から文章を書くことがそんなに嫌いじゃなかったなと思い出しました。
それが、今のこのnote執筆に繋がっているのかと思うと、なかなかに感慨深いです(笑)
まぁ、文章力がどうとかよりも、感じたことを整理して文章として書きあげることが得意な気がします。
実際に話す力は皆無なので、あくまで文章にすることだけですけど、、、
それで、本を読むことも好きだった子供だったので、まさに読書感想文は得意分野だったわけです。
ただ、読める本と読めない本の差が激しいのは今も昔も変わらないんですよね。
全然理解できない本は、全くと言っていいほど読み進められません。
「え、これはどういう意味?何を言ってるの?意味不明過ぎる、、、」
こうなったら、適当に読み進めるのも苦手なんです。
しっかり意味や内容を咀嚼しながらじゃないと進められないんですよ。
つまり、不器用ってことです(笑)
内容が無いものを読んだり、雰囲気だけを感じるために読むこともあるんですが、基本的にちゃんと理解しながら進まないと気が済まない性格をしているんです。
だから、ちゃんと読んで、感じたことを心のメモ帳に書き留めながら、その感じたことを文字にする。
そうした習性が読書感想文っていうものにガシッとハマったんです。
ライティングのスキルとか、多彩な表現方法があるわけではないんですが、気持ちの表現という意味では、ちゃんと書けていたんでしょうね。
どちらかというと文系ではなく理系なんですが、こと文を書くことに関してだけは、なんちゃって文系になっています(笑)
今の自分の日課のルーツが、小学校の読書感想文だったんだなと改めて感じた次第です。
ということで、本日のまとめです。
自分の何が今に繋がっているのかなんて、正直分からないものです。
改めて考えると色々思い当たる部分が見つかることも多いですが、じっくりと思い返さないと分からないことも多いんですよね。
個人的には、やっぱり幼少期とか小学校くらいのことが、自分の考え方や性質のルーツになっていることが多いなと感じています。
後天的に変えていく部分はその限りじゃないですが、自分の本質というか、自分の本音の部分、根っこの部分はきっと昔に土台が出来上がっているんでしょうね。
だから変わらないというつもりは毛頭なくて、意識して変えていってる部分がきっと大人になってからの8割以上を占めていると思います。
自分の本音が迷子になっているときなどは、昔の気持ちを思い出すのが良いだろうな、そう感じて今回の記事を書いてみました。
そんな僕のnote執筆のルーツになった、小学生の頃の読書感想文のお話でした。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
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