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かつて物語になれなかった2人へ

「ねえ、私もいつか君が書く物語になるのかな」

彼女がかつて物書きになった僕に言った言葉。物語にするには少し物足りなくて、物語にするには少しだけ甘酸っぱい僕たちが過ごしたあの日々。かつては一緒の方向を見て、ああでもないこうでもないと言い合ったあの日々に戻りたいとはもう思えない。でも、物語になれなかった僕たち2人の恋路があのとき確かにそこにあった。

僕たちの出会いはインターネットだった。匿名掲示板で知り合ったペンネーム「おひつじさん」。インターネット上の存在は、性別すらもわからないし、本当に実在するかどうかも定かではない。

おひつじさんと初めて会話をしたのは、匿名掲示板である。共通の趣味であるオンラインゲームを介して僕たちは交流するようになった。ある日、匿名掲示板を覗いてみると、同じオンラインゲームをしている人を見つけた。それがなんど僕が対戦してぼろ負けした相手だ。おひつじさんが僕の対戦相手だとわかった理由は、同じ時間にゲームをプレイしていたこと、おひつじさんが掲示板に書き込んだ対戦相手の特徴が僕そのものだったことだ。

当時、僕は一夜を明かすぐらいオンラインゲームにハマっていた。彼女も同様で、いつネット回線に繋いでも、彼女のアバターにはオンラインの印がついていた。最初は対戦相手として敵対していたけれど、掲示板で会話をするようになって、徐々に親睦を深めていった。

僕が掲示板にハマったきっかけは、おひつじさんがいたためだ。おひつじさんは僕よりもゲームの上級者で、どうすればゲームが上手くなるかを丁寧に教えてくれた。当時、おひつじさんは「なんだか敵に塩を送るみたいだね」と笑顔の絵文字をつけて掲示板に書いていた。

僕たちは掲示板以上の関係性にならなければ、今でも関係性が続いていたはずだ。勝手に思い始めたのが2人で、勝手に終わらせたのが2人だ。今更後悔することはなにもない。なんて、嘘。僕はあの日からずっと後悔しかない。君はどうだろうか。

***

ある日、おひつじさんから「一度お会いしませんか?」とお誘いが来た。ところが、僕は彼女のお誘いを受けるかどうかを悩んでしまった。もちろん彼女にお会いしたい気持ちはある。自分でいいんだろうかと悩んでいると、おひつじさんから「ダメですか?」と追加のお誘いが来た。これ以上は待たせられないと、彼女と会うことを承諾した。

ちなみに僕は女性に誘われたことが一度もない。人生で初めてなのである。どんな身なりをして会いに行けばいいのかもわからないし、恋愛をしたこともない。恋愛攻略本的な本を購入し、そこから最低限の知識を学んだ。ファッション雑誌で見た洋服を購入し、美容室で髪を綺麗に整え、失礼のない容姿で彼女に会いに行った。

「初めまして、おひつじです」

駅前で待ち合わせ。モデルみたいにすらっとした体型で、目がびっくりするぐらい大きい。赤いグロスに少しピンクっぽい頬。とてもゲームに夢中になりそうな人だとは思えなかった。彼女の自己紹介に対して、僕は「初めまして、山田です」とつい本名で自己紹介をしてしまう始末。そんな僕を見兼ねて彼女は「本名で自己紹介って面白い」と、上品な感じで笑っていた。

上品に笑う彼女を見て、僕は一目で君の虜になった。ああ、これが一目惚れかと。物語的に言えば、体の中に電気が走ったみたいな感覚。

ゲームの話や仕事の話。ありとあらゆるプライベートの話をした。彼女は都内のOLで、暇さえあればゲームをしているらしい。お酒が苦手で、夜更かしが好き。人間は夜に覚醒するとか言っていた。そのほかにはパセリが嫌いで、最近パクチーを克服したんだとか最初のデート?で僕は「また会いたいです」と普段なら絶対に言わない言葉を口走っていた。

「あ、ねえ、運命って信じる?」

彼女の口癖はずっと運命だった。初対面の時からずっと運命を信じている。きっと運命的な出会いをしたくて、恋人ができないままでいた。オンラインゲームで出会った僕とは最初は敵同士だったのに、掲示板をきっかけにして、いつの間にか敵ではなくなっていた。

掲示板からLINEに交流が切り替わり、1週間に2回ほど長電話をするようになった。2回目のデートが決まり、映画館で映画を観てからカフェで感想を言い合った。3回目はテーマパークで1日を共に過ごした。ここで告白できればカッコよかったのかもしれないけれど、自分の中の臆病がつい勝ってしまった。4回目の動物園デートの帰り道に駅前で告白をした。4回目で告白できたその事実は僕にとっての及第点だ。帰り道に良くやったと自分を褒め、好きなアイスを購入したことを今でも鮮明に覚えている。

もしかすると、僕たちの絶頂はあのときだったのかもしれない。ここからまさか恋に進展し、別れを体験することになるとは思っていなかった。

***

彼女との交際が始まり、あっという間に同棲が決まった。僕たちは1LDKのマンションで暮らすことになった。一緒に過ごしている間に彼女のいいところも悪いところも知っていく。彼女の全部を愛そうと思えたし、最初は敵だったのに、いつの日か僕が困る姿を愛おしいと言っていた君は紛れもなく、敵か味方かどうかすらもわからない存在になっていた。

彼女と暮らすようになって、僕は物書きになった。文章を書きながら生計を立てる。口で言うほど簡単ではなかったけれど、1年が経った頃には1人分の生活を賄えるようになっていた。エッセイや小説、インタビュー記事など、ありとあらゆる文章を必死に書き続けた。文章ならば自分を隠すことなく本音で語れる。それが救いだった。嬉しいことも悲しいことも全部文章にしてしまう。ようやく自分の生きる道が見つかった気がした。

「ねえ。運命って信じる?」

なにもかもを運命論に当てはめたがる彼女と、運命を信じないと言い張る僕。2人はまるで真逆だった。磁石で言えば君がS極で僕はN極。君が晴れなら僕は雨。君が消えない油性なら僕はすぐに消える水性。なんでも話したがる彼女と自分をさらけ出せない僕。初対面のときから彼女はずっと変わっていない。僕は人に自分の話をするのが苦手だ。彼女にも「本当に自分の話をするのが苦手だよね」とよく言われていた。だから僕は物語に自分の思いを綴ることで、本音を漏らした。

君との日常を小説にしては、誰にもバレない場所で公開していた。ある日、彼女が「ねえ、あの話って私のこと?」と嬉しそうに訪ねてきた。なぜバレたのかがわからない。匿名で、軽率に始めた彼女を思って書いた小説。バレるわけがないと思っていたのに、簡単にバレてしまった。あのとき、「そうだよ」と言えていたならば、もっと関係性は続いていたのかもしれない。素直になれないこの性格が彼女との関係性を終わらせた。と、言っても過言ではない。

彼女との関係が悪化しはじめたのは、もちろん僕が原因である。ある日、自分の伝えたいことをなにも言わず、彼女に「もっと自分の意見を言ってよ」と怒られた。文章ならちゃんと伝えられるのに……それでも僕は彼女に文章で伝えられなかった。

あの日、2人の部屋にヒビが入ったような気がする。涙ながら訴える彼女を見ても、僕はヒビ割れた部屋をぼんやり眺めることしかできなかった。彼女が嗚咽を漏らしたあの瞬間に、終わりの鐘は静かに部屋中に鳴り響いたような気がする。文章ですら伝えられなかった僕にはもはや為す術なんてなかったのだ。

あの日から2人の会話が減った。部屋を漂う空気すらも変わった。マシンガンのように話していた彼女の変化。無口の僕と掛け合わせれば、部屋の中はお葬式みたいだ。無言の中で食べる晩御飯。鳴り響いていたのは時計の針の音だけで、チクタクという音と共に、死んだ魚のような目をした2人がいた。

とうとう会話がなくなった2人。どちらが別れを切り出すのかはもう時間の問題だった。僕からは別れを切り出さない。いや、切り出す勇気がないと言った方が正しい。ずっと一緒にいたいとすら言えないろくでもない男がそこにいた。やはり予想通り彼女が別れを切り出した。否定も肯定もすることなく、呆気なく僕たち2人の関係は幕を閉じた。

彼女とお別れしてから彼女がどんな思いだったのかを人づてに知った。本当は会話が苦手で無理をしていたこと。こっそりゼクシィを購入して、涙ながら捨てていたこと。料理が下手な彼女が手作りのお菓子を秘密裏に作っていたこと。僕は彼女のことを知っているようで、まるで知らなかった。彼女はどうやら本気でこの恋を運命だと思っていたらしい。それなのに僕は自分の気持ちを最後まで伝えることすらしなかった。

***

「ねえ、私もいつか君が書く物語になるのかな」

物語にするには少し物足りなくて、物語にするには少しだけ甘酸っぱい僕たちが過ごしたあの日々。戻りたくても戻れない。あの日、君と観たあの映画。ハッピーエンドの映画のようにはうまくいかなかった僕たち。破ったのは約束で、守ったのは自分のエゴだ。願っていたのはずっとで、叶わなかったのがずっとで、うまくいかなかった事実が永遠に残り続ける。

もしもこの恋が運命だったならば、僕たちは終わらなかったのかもしれない。でも、運命は2人が手繰り寄せるもので、お互いに意思疎通を図らなければ、運命にはなり得ない。細い糸が千切れないように、自分を大事にしすぎた結果がこのザマである。どうしようもなく、呆気なくこの関係性は終わった。

あれほど愛した彼女はもうここにはいない。その事実だけが僕の胸を締め付ける。思い出せば思い出すほどに彼女との思い出は綺麗になっていく。もう半年が経ったのに、彼女が微笑むあの姿がいまだに消えてくれない。

そういえば来月になれば、2人が出会った掲示板が閉鎖するらしい。

「始まるのが運命ならば、終わるのもきっと運命だよ」

彼女のことなんてもうどうでもいいと思っていたのに、掲示板がなくなる事実が当時の情景を思い出させる。かつて彼女と僕が掲示板で会話した記録が、2人の想いがすべて消去されるその事実がただもどかしい。かつて物語になれなかった2人へ。僕は最後まで爪痕すらも残せなかったし、君の本音すらも知らなかった。さようなら、おひつじさん。さようなら、かつて愛した人。最後に、せいいっぱいの強がりと君にこの文章を捧げるよ。

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サトウリョウタ@毎日更新の人
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