「定年廃止」は高齢者の虐待か?
「定年退職」というのは、昔は55歳だったはずです。それが60歳になり、65歳になり、さらに今後は「定年廃止」という言葉が見られるようになってきました。廃止という言葉に対して「高齢者に対する虐待だ」という記事も見受けられます。
私は今は自営業ですから、自由な発想ができます。ゆえに、定年なんて決めるものではなくて、労働者が勝手に決めれば良いのではないかと簡単に考えてしまいます。しかし、労働基準法などの難しいルールに縛られていますから、個人に委ねられることは難しいんでしょうね。
本音を言えば、働くに値しない人は辞めていただき、80歳でも働いてほしい人には継続してもらいたいのが、経営者の気持ちでしょう。しかし不要な人員を会社が勝手に辞めさせることができないから大変です。
アメリカのように「年俸制の契約」になれば、考え方がかなり変わるはずです。日本でもちょっとそんな話が出た時代もありましたが、一部の人、職種にしか浸透していませんよね。
「働く」ということは、年齢や立場によってその意味が変わっていくはずです。お金を追い求める時もあれば、時間の融通が利いてほしい時もあります。お客様の笑顔が見れるから働く意義があると思える時期もあるでしょう。
では、65歳で働く意義はどんな事が考えられるでしょう? 若い時より、一人ひとりの考え方の差が大きく違っていると私は想像します。
生きていくために、お金が必要だという人もいるでしょう。かたや、ある程度の貯蓄はできたので、お金は目当てにすることはない、という人もいるはずです。
日本も貧富の差が激しくなってきている。
結局、お金なんですよ。お金があるか、ないかで、定年退職の必要性や意味が変わるはずです。中には、お金はたっぷりあるけど、ずっと働いていたい人もいるでしょう。
個人に選択させてあげれば良いと私は思います。
みんな条件が違うんですから、法律やルールで縛るのではなく、自由に決めさせてあげることが良いと私は思います。
虐待だとか言う人は、「働かされている」という意識なのでしょう。自ら働きたいと思っている人は、虐待だとは思わないはずです。
日本には昔から「嘱託(しょくたく)」という制度があります。これはあくまでも労働者としての扱いです。一方、「請負」や「業務委託契約」という考え方になると、仕事に対する意欲や意義が大きく異なります。契約社員のような労働者ではなく、フリーランスという考え方です。
労働者という意識を捨てて、業務委託する契約者として仕事に関わることができれば、高齢者が仕事に関わる意味が変わっていくのではないかと、私は考えます。
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