4.「傍楽(はたらく)」ということ
「傍楽」で「はたらく」と読む。一種の言葉遊びかもしれない。
こういった言葉遊びには賛否両論があるが、それによって組織の意識が統一されていたり、届いてほしい人に意味が伝わりやすいようになっていたりするのであれば、私はむしろ良いことではないか、と思っている。
この「傍楽」を使っている会社はいくつかあると思うが、金沢QOL支援センターのホームページでも使われている箇所があり、その部分で書かれている内容が素敵だったので紹介したい。
・・・
私なりにピックアップしたい場所がある。
①自分がはたらくことの意味を感じてもらいたい
人がはたらく理由は様々である。
自分が生きていくため、食べていくため、趣味の時間をつくるため、家族のため、人のためなどなど。
「絶対に○○のために働きなさい」と周りに強制される筋合いはなく、各々が各々の目的のためにはたらくべきだと思っている。
でもその理由の一つとして大きく確立しているのが「承認欲求」だったりする。
自分のためだけじゃなくて、誰かのため、誰かが喜ぶ姿、笑う姿、感動する姿、誰かの役に立っていると実感することにより、自分の仕事にやりがいを感じ、それが巡り巡って自分のためになったりする。
いやいや働くのではなく、暗い気持ちで働くのではなく、
自分が働くということに対して誇りを持ってほしい。
「楽しんで」働いてほしい。そんな思いが込められていると思っている。
②当事者や家族、支援者だけが考えればいいわけではない
これもものすごく素敵な考え方だ。そして私自身、卒業論文で書いていた「地域子育て支援」と通ずる部分があるように感じる。
これからは、より「共生」していくことが求められると感じる。
地域関係の希薄化が叫ばれてはおり、SNSの普及などで繋がりたい人と繋がれることが当たり前になったこの時代。面倒くさい人間関係なら、ない方がまし、と思う人もいるだろう。
100%わからないわけでもない。
だけど実際、ここぞの場面で頼りになるのは身近な関係だったりする。
それこそ自然災害があった時、遠くにいる家族や知り合いが助けに来れない時に心強いのは近隣関係だ。結局根本は、生身の人と人の繋がりで、これはこれまでもこれからも変わらないと思っている。
以前、私も「人」というテーマで記事を書いた。
支援する人・される人と分けるのではなく、それぞれが誰かの支援する人であり、それぞれが誰かに支援される人であるという”お互い様社会”をつくっていくのが望ましいのではないかと考える。
この障害の問題も、子育ての問題も、地域全体の問題も、それぞれの本人だけが考えればいいわけではない。むしろそこに少しでも関わる全ての人が当事者意識を持つこと、その問題を考えることが必要なんだと思う。
一気に全員がそういう意識を持てなくも、誰か一人がそういう意識を持って行動することでそれが他の誰かを刺激し、また一人さらに一人と普及していくと思う。
どこかでいい情報を掴んだのなら積極的に伝えればいい。
何か困っている人を見かけたら手を差し伸べればいい。
それが何のためになるか?巡り巡っていつかは自分のためになるさ。
当事者だけが考えればいいのではない。
むしろそこに少しでも関わる全員が当事者だ。
この考えを大事にしたい。