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ヒーロー

子どもの頃、多くの人が憧れるものってなんだろう。


いくつかあると思う。

その中の代表格が「ヒーロー」なんじゃないかって思う。

戦隊モノだったり仮面ライダーだったり、プリキュアだったり。

多くの夢見る少年少女たちが通ってきた道なんじゃないだろうか。私も日曜の朝はテレビにかじりついてみていた気がする。

人は知っているものに憧れる。
そして誰かの役に立っている姿にも憧れを持つ。
それが「ヒーロー」だった。

「僕も/私も、あんな風に世界を救いたい」

そんな大きな夢を持っていた人もいるんじゃないだろうか。
そしてその夢を、本気で実現したいと思っていたんじゃないだろうか。


どうしてだろう。

大人になると、「世界を救いたい」そんな風に声を挙げる人は極端に減ってしまう気がする。

かくいう私もそうだ。

なんで。
それは「現実」を知るからだろう。

現実ってなんなのか。

言い換えればそれは自分の無力さだったりする。

子どもの頃は何でもできる、何にでもなれる、そのように目をキラキラさせ、胸を躍らせていた。だけど成長していく中で、「出来ない」を知っていく。「敵わない」を知っていく。そうやって無力さを知っていく。

いつしか「世界を救う」といっている人を斜めで見るようになる。

それはきっと恐らく、自分が出来なかったことをされてたまるものかと思う節もあるんじゃないかと思っている。

自分だってなれるならなりたかった。

でも無理だと悟った。だから諦めて別の道へ進んだ。

それをあなたに実現されてしまったら、夢を諦めた自分はなんだったんだ、って。


現実が夢を諦める発端となるならば、現実なんて知りたくないとも思うのだがそうもいっていられない。現実というのは否が応でも知っていく。

現実を知った我々は「ヒーロー」にはなれないのだろうか。


私はそうは思わない。


確かに戦隊ヒーローのように、仮面ライダーのように、プリキュアのように、日本に住む、世界に住む万人を一気に救うことは難しいかもしれない。

でも、目の前の大切な誰か1人を救うことなら出来る。

あなたの行動で、言葉で、態度で。

もしそれで大切な誰かを救う事が出来たなら、救われた相手にとってあなたは「ヒーロー」だ

私はそれでいいと思っている。


万人を救っている中で大切な誰かを救えないくらいなら、大切な誰か1人を救うことに尽力したい。

そうやって尽力した結果、きっと他の誰かも救うことが出来ている。というか1人を救うことも出来ないのに、万人を救うことなんて到底無理だ


今日はすごい抽象的な言葉が行き交う記事になってしまった。

だけどたまに思うんだ。

自分は今「誰」のために、「何」のために、仕事をしているのか記事を書いているのか、もっと言ってしまえば生きているのか。

そんな時、いきなりまだ会ったこともない人を想像するのは難しくて。

だけど自分が大切にしたいと思っている大事な1人を思い浮かべるだけで、それだけで一気に行動に具体性が増すと思うんだ。


自分にとって大切な人をまずは大切にする。
その人にとっての「ヒーロー」となる。

その積み重ねで、やがてみんなの「ヒーロー」になる。


ヒーローの夢、諦めていない。

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塩浦良太
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