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朝のランニングが自分に対しての「ご機嫌取り」

社会人としてスタートするにあたり、自らの拠点をうつして早1週間が経過しようとしている。

働き始めて最初の休日だ。

街の雰囲気や人の多さなども自分が大学の頃に生活していたところと似ている部分もあってものすごく過ごしやすい。早速街が好きになった。

そしてこっちに来てから毎朝欠かさずにやっていることがある。

それが「ランニング」だ。

こっちにきてから暖かくて天気がよくて、本当に快適な日々が続いている。まさにランニング日和な毎日だ。

・・・


そもそもどうして走るのか。

”走りたいから走る”

正直、ただそれだけだ。

ランニングとっても、「一日〇㎞走ろう」とか「〇分走ろう」とかそういったノルマを自分に課しているわけではない。

筋力トレーニングのため、スタミナアップのための要素も少しはあるかもしれないが、それはあくまで結果であって一番は「自分のご機嫌取り」のためである。

だから本当に走りたい時間走っているし、その時の気分で走るペースを変えている。


・・・

元々、長い距離を走ることが好きだった。

一番最初の原体験は小学校のマラソン大会だっただろうか。

1学年50人くらいの学校のだが、毎年1回マラソン大会が行われていた。そして運がいいことに6年連続1位に輝くことが出来た。

小学1年生で優勝した時くらいから、

「あ、俺もしかしたら走るの好きかも」

そう思っていた。最初の動機は「頑張ったら結果がついてくる」という単純なものだったかもしれない。

私はそこから陸上部、、、、、ではなく、小2~高3までバチバチに野球部として活動していたのだが、個人的に長距離は好きで走っていた。

中学の時は「特設駅伝部」に参加したし、体育のシャトルランとかウキウキしちゃうくらい、ちょっと気持ち悪いヤツである。


部活をやっていたときの長距離を走る目的は、「筋力トレーニング」だったかもしれない。そして走った分だけ自分の身になる「達成感」だったかもしれない。

そして周りから”速い”、”どうせ1位とるんでしょ”みたいな期待をされて、その期待にそれ以上の価値を結果で示すことによる「自己肯定感」なのかもしれない。

それくらい、周りが「長距離しんどい」「走るのやだ」などと言っているのを横目に、授業でも常に先頭を走ることを意識していたし、個人的に家に帰ってから走ることもあった。


大学に進んでからは特に部活には入らなかった。

だけどたまにランニングしたくなって、外を走った。

就活は苦労した。すごいモヤモヤしている中で、気づいたらランニングシューズを履いて外を走っていた。

そしてやっと気づいた。

これまで小学校から大学まで自分がなんで長距離が好きだったのか、ランニングが好きだったのか。それは、

「自分のご機嫌取り」


だったのだ。

ご機嫌取り:人の気に入るような言動をとること

言葉そのものの意味を調べるとあまりいい印象はないかもしれない。「忖度」だとか「迎合」という単語が浮かびそうだ。

だけどここで大事なのは、自分で「自分」のご機嫌を取る、とうことだ。

大学時代にランニングをしていて思った。

「あ、走っているとなんだか無になれるな」

自然の音に耳を澄ませ、変わりゆく景色に目を凝らし、時に自分と対話する。どこからでもたくさんの情報が入ってきてしまう今の時代において、貴重な自分自身と向き合える時間なのかもしれない。

ランニングしていると自然と心が落ち着いて、走り終わったあとにはどこかスッキリした気持ちになる。

・・・

「自分で自分の機嫌をとる」ことの重要性をつくづく感じる。

誰かに幸せにしてもらうのではない。自分で自分を幸せにする。

それが実際現実的だし、コスパもいい。
それが私にとっては「ランニング」だった。

与えてもらう「幸せ」もあるかもしれない。
でも与えられていることばっかり待っていても、「幸せ」はなかなかやってこない。

いかに「自ら自分を幸せにする方法を知っているか」これに尽きる。



☟以下、朝のランニングで見つけた春の訪れである。

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塩浦良太
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