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言語化はあくまで通過点

自分自身への戒めを込めて書く記事である。


「言語化はあくまで通過点」


スッとそう頭に降りてきた。

「何をテーマに書こうかな~」

そう悩んで、決めて書く記事も悪くないが直感的に浮かんだものが実が今その瞬間一番大事にしたいことだったりする。

浮かび上がったアイデアが新鮮なうちに言語化して深掘りしていきたい。


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綺麗な言葉の「誘惑」

noteを書くことが習慣化して、何かを言語化することが癖になってきた。

そうやって何かをアウトプットする習慣が身につくと、言い方は悪いが「それっぽく」書くことも上手になる。

「こういう言葉遣いにするとスッと入ってくるな」
「この表現カッコいいな」

”ありのまま”などと言いながら、実は過去の文章の中にも伝えたい内容には少し関係のない表現が含まれていることもある。

「それっぽく」書いた文章は、とてもストーリー性があって、まとまっていて綺麗だ。そしてそういった文章を書けるように、と意識している。

しかしそこに綺麗な文の「誘惑」がある。

それっぽく書かれていて、まとまっていて、そういった文章を書くことで妙に納得してしまう、自分は身についたもので勘違いしてしまうことになりかねないのだ。

毎日noteを投稿することが目的になったり、言語化することが目的になってしまうと、自分が納得できる文章を書くことで満足してしまう。

書いてもそれっきりで、振り返りをしないということになりかねない。

果たして本当にそれでいいのか。


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本来のnoteを書く目的

その都度、立ち返らないといけない。

noteを書く=言語化することはあくまで手段であって目的ではない。

綺麗な、まとまりのある文章を書けるように目指すこともあくまでその先にある目的のための手段であって、そこで終わりではない。

文章を書くことで生計を立てているのであれば、また話が変わってくるが、私の場合には文章を書いた先にも目指すものがある

言語化はあくまで通過点。

モヤがかかって見えづらくなっているゴールに向けての視界を、少しでも晴らすための作業にすぎない。

だから言語化したからといって、必ずしもゴールにたどり着けるわけではないということも常に自覚しておかないといけない。

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記事の基本は「自戒を込めて」

これまで何度も話題にしてはいるが、私が書く記事のほとんどは自分に向けて。特に過去の自分に対して戒めを込めて

しばしば記事の中で「自戒を込めて」「戒めを込めて」と登場することも。

過去に自分が出来ていなかったことを書き残すことで、未来の自分が立ち換えることが出来る場所になる。

そしてあの日から自分が成長できているか振り返る場所になる。

一瞬一瞬場当たり的に生きていくのも魅力的だが、せっかく過去も時間を費やしてきたのだから、なかったことにするのはもったいない。

辛い過去も楽しかった過去もワクワクした過去も、二度と経験したくない過去も、良くも悪くもそのすべてがあった今の自分がある



大事なことだからもう一度書く。


言語化はあくまで通過点。ゴールではない。



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塩浦良太
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