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言葉を紡ぐとき意識していること。

文章を書くプロでもなんでもない、ただ「書く」ということが好きなだけの自分が特に偉そうに言えることではないのだが、私が普段文章を書くときに意識していることの一つを書いてみたい。

「アドバイス」というより「共有」だ。
アドバイスなんていう大口は叩けない。
求められてもいないのに共有なんて。まさに自己満足。

だからいろんな人の文章を書くときに意識していることも聴いてみたい。そして「いいな」と思ったら盗みたい(笑)少し語弊がある。参考にして自分のスタイルと組み合わせて自分だけのものにしたい。



早速本題に入って、

いくつか大事にしている候補はあるんだが、なかでも「これ!」というものをあげるとすれば、

「読んでいて気持ちよくなる、口に出してみたくなる文章」

だ。これをTwitterの投稿でも、noteの記事でも最低1か所はいれるようにしている。

”「大事にしていることはわかったぞ。でもつまりそれってどういうことだ?」”


そんな声が聞こえてくる。もう少し細分化しよう。細かく分けるとすると、

・一文を短くする。
・体言止めを使う。
・文を長くするなら映像が浮かぶように。

といった3点だろうか。
そういう目で見られると恥ずかしくなるし、常に意識は出来ていないという逃げ道はつくっておいて。。


やっぱり一文は短くしたい。

これは話すときも一緒だと思う。やはり読んでいる人、聞いている人を置いてけぼりにしないことが大事。そのために必要なのが”1文に伝えたいことは1つ”という意識じゃないかと思う。

しかも短い文章はリズムよく読める。話の切れ目がある。そしてついつい口に出したくなる。だから出来る限り短くしたい。


体言止めを使う。

私は結構体言止めを使う。自分がよく体言止めを使っているな、と気づいたのは大学時代の講義のときだ。グループになって報告書を作成しているとき、ある先輩から、

「体言止めの塩浦じゃん」

って言われた。きっといい意味で。(笑)

でもそれまでは気づかなかった。ただ振り返ると確かにそうだな、と思う。わからない方のために、そもそも「体言止め」とは何か。すごく簡単に言うと「名詞で文章を終えること」だ。これまでの上記の文でも2回ほど登場した。まさに自分にとっての十八番。あ、これも体言止め。

どうして体言止め使っているのか、と考えると体言止めには文章に余韻を持たせる効果があると思っている。その文章が引き締まる。

そしてやっぱり口に出したくなる。その余韻ほしさに。


でも時には1文を長く書きたいときもある。

そんなとき意識しているのが映像が浮かぶようにすること

文章が長くて一番困る瞬間って、「結局今何の話をしているの?」という状態だと思う。話が行ったり来たりしたり、いろんな登場人物が出て来たり、文章の切れ目がわからなかったり。

そんなとき映像がイメージ出来たらどうだろう。きっと頭の中でストーリーが展開される。ストーリー仕立てになっていたら、むしろ長い文章の方が引き込まれるかもしれない。だからどうしても一文が長くなる時はそれを意識している。


以上私が意識している3つのポイントをあげた。

どれか一つじゃダメだと思う。一本槍の攻撃は見ている方も飽きる。いろんなアプローチをすることで飽きさせないことも大切。

選択肢って多いに越したことないと思う。
時に選択肢が多いことは選ぶ大変さを助長するからいかがなものか、みたいな議論もある。でも私は大変だとは思わない。いや、大変だとしても心地よい大変さ。選択肢が多いということは、それだけ周囲を、そして自分を楽しませる手段を持っていることだと思うから。


あなたが文章を書くときに意識していることはなんですか?

あなた独自の世界観はなんですか?

一度自分自身が気づかないうちに意識していたことを振り返って見るのもいいかもしれません。

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塩浦良太
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