古典100選(18)紫式部日記

源氏物語を書いた紫式部も、『紫式部日記』といわれる日記をつけていて、昨日の『土佐日記』同様に、具体的な日付が文頭に記され、宮廷の出来事などが書き綴られている。

そうした記述がいくつかある中で、同じ時代をともに過ごした女性について、和泉式部や清少納言の名を挙げて、自ら批評している箇所がある。

次に挙げておこう。

【和泉式部】
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書き交はしける。されど和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわりまことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠み添へはべり。それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢにはべるかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。  

【清少納言】
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。

以上である。

和泉式部については、「けしからぬ」と言っているところがあるが、これは和泉式部が恋多き女性だったこともあり、「不埒だ」というニュアンスで言っている。

だが、紫式部は、和泉式部の和歌の才能はまあまあの評価しており、「恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。」(=私が恥ずかしくなるほどの立派な歌詠みというほどではない)と言っている。それでも、「歌はいとをかしきこと」「口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる」という部分から、口に任せて自然な感じで詠んだ和歌には必ず趣深い一節があると評している。

逆に、清少納言については、ひどい言いようである。「さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。」とあるように、利口そうに漢字(=真名)をいろいろと書いてはいるけれど、よく見ると、それほど才能があるわけではないと言っている。

「もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。」というのは、清少納言の書いた随筆である『枕草子』の内容をチクリと言っているのだが、風流をすごく理解しているように見えて、その中身はたいしたことないから、だんだんと的外れなことを言うようになっているとこき下ろしている。

そういうアナタはどれだけエラかったのかね?と思いたくなるような書きぶりではあるが、清少納言は中宮定子、紫式部は中宮彰子に仕えていたという事実からして、紫式部は清少納言をライバル視していたのかも。

中宮彰子は、藤原道長の娘だった。

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