開巻有得〜自分を取り戻すための研究〜
いつのまにか
自分の主導権が他に渡っていたことに気づき、
ずっと抱えていた欠乏感が膨らんで
「自分の人生を生きているという自負心」を
取り戻すことの必要性を感じていたときに、
私はこの本と出会いました。
熊谷晋一郎著
『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』
だれにでも「苦労」はある
という言葉に、
励まされるような感覚になりました。
それがこの本を読んでの感想です。
苦労をしたいと切望した時期
私には、幼少期から青年期ぐらいにかけて
「苦労がしたい」と思っていた時期があります。
当時は漠然としたものでしたが
いくつかの経験を重ねて
当時望んでいたことを特定できるようになりました。
正しくは、「苦労をする(=自分の生命力で生きる)」ことで
「自分が生きている感覚を取り戻したい」だったんだと思います。
「苦労」が何か、
特別価値のあるもののように感じていた節もあります。
自分がその時に困っていることを共有した相手に
「そんなこと、〇〇に比べて恵まれているんだから文句を言うな」
と無下にされた記憶がこびりついていると、
「自分には(まだ)余裕があるんだから、
目に見えて大変そうな他者に協力しなきゃ」
という発想で他人を優先するようになるのですが
その時々で他人のために動いている間も、
「いつまで経っても自分の問題は解決されない」という感覚が
内側で燻っているんですよね。
こんなことしている場合なのか、
私の問題にはだれも協力してくれないのに
みたいな。
被害者意識って、
どこか優越感と似ている部分もあるように思います。
手を差し伸べられると、
「私の問題を奪われる」みたいな焦りが生じた経験もあります。
もしかすると、
この被害者意識が、
「自分の荷物にしがみつく」心理の
出発点かもしれません。
なんかびびびと来たので
思ったことを言います。
何か強いメッセージを感じる出来事が起きたとき
自分がその出来事から得られた学びを自覚するまで
その出来事に関する感情や記憶は残り続ける。
…もったいないから。
せっかく起きた出来事を学ばずにスルーするなんて
もったいないから、大事にとってある。
学びのヒントである感情を
「被害者意識」として濁したまま、
他人に投影することを「根にもつ」と言う。
他者との関わりではじめて人間は成り立つと言いますし、
やってみると、他者のために動くことの方が愉しいです。
自分の荷物を手放さないから重いだけで、
他者の荷物だけ背負っていれば気楽なもんらしいです。
自分の荷物だって
しがみつかずに他人にシェアできれば、
面白いなにかに変わるかもしれない。
「抱える問題」が、
その人そのものなわけじゃないんだから。
コミュニケーション障害は、関係の問題のはず
本書を読んで
この認識ってすごく大事だな、と思ったのが
以下の図です。
(Canvaでさくっと作ってみました)
なにか「悪いもの」をスケープゴートになすりつけるな
私が特に惹かれたのは、
巻末の注釈にあった親鸞聖人や『歎異抄』への言及です。
この考え方に共感を持っているんだと思います。
私が好きになる人の多くは、
自己欺瞞を突き破って
「実在の姿をさらけ出すこと」ができる人です。
だからこう言う言葉を読むと、
体の内側が熱くなってくるんだと思います。
2024年2月13日 拝
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