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流記屋
2024年3月19日 14:36
書きたいことを書き切るのに時間を要したため、開白に間に合わないかもしれませんが、これまでの辻政信氏の調査考察の続きをやっていきたいと思います。辻政信氏は敗戦後、日本の「後図を策する」ために「釜中に坐して心魂を鍛える」ような三千里の道を潜行してきました。GHQの表立った追及から逃げ切ったあとに表舞台に飛び出したのはひとえに「日本という国の行末を、 世界で起こっている戦から
2024年3月17日 10:00
2024年5月3日、和歌山県の三石不動尊にて「辻政信氏と七人の僧 ならびに第二次大戦A級戦犯の方々」の慰霊祭が執り行われます。三石不動尊では毎年恒例で、5月3日に不動瀧を拝する慰霊祭をされているようなのですが、奇しくもこの日は、辻政信氏のお父上のご命日でもあったようです。今年(2024年)の1月14日に「辻政信」氏についての調査考察を頼まれて以降、彼についての書籍や、彼自身
2024年3月8日 10:00
前回、潜行ルートをなぞってみると宣言しておきながら、今回はちょっと脱線して辻さんが当時考えていたことを読み解いてみようと思います。なるべく、彼の言葉を拾いながら。2019年に改めて刊行された【完全版】の『潜行三千里』には、「我等は何故敗けたか」という文書が収録されています。これは、辻さんが潜伏中にGHQの監視を上手くかわしながら親日派の中国人に頼んで、密かに日本の留守宅へ届けても
2024年2月29日 14:00
辻さんはなぜ潜ったのか戦後、辻さんとも交流のあった軍上層部の方達が戦犯として処刑されていく中辻さんは「潜行」を選びました。そのことについて、当時からすでに「死ぬのが怖くて逃げ回っている」と言われご家族が迫害の憂き目を見ていたようです。『潜行三千里』には、潜行中、奥様から手紙が届いたエピソードへのご本人の言及があります。辻さんについてなんの先入観もなかった頃に後年の評を聞
2024年2月27日 12:30
本日(2024年2月26日)、午前7時ごろからしばらく庫裡のそうじをし、正午から『潜行三千里』を手に取りはじめました。本稿では、辻さんに関して得た情報から感じたことを膨らませていきます。『潜行三千里』は、1949年の3月から潜伏先にしていた真鶴半島にある同志の別荘で一気に書き上げたものなんだそうです。どんなところなんだろうと検索してみると、神奈川県の真鶴町にあり小さな島らし
2024年2月9日 10:00
彼の心情を惻隠する彼の残した悔いが何だったのかを模索するにあたって尼僧さんからいただいたヒントは、「辻氏には理想があったはず でも理想に近づいていくとき 自分自身に無意識についてしまう嘘があった」というものでした。彼がなぜ東南アジアに向かったのか本書に書かれていることを簡単に要約すると、ホー・チ・ミンと会談して「ベトナム戦争を止めさせる」という目的があり、まもなく訪米予
2024年2月1日 13:09
2024.1.14〜2024.1.24 の手記本稿は、私が生きた日々の記録です。2024年1月14日2024年1月15日2024年1月17日2024年1月19日2024年1月20日