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命の活かし方探究

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#古典

心照古教〜『大学』を考える〜【むすび】

心照古教〜『大学』を考える〜【むすび】

『大学』に心を照らして読み解いてみた結果今回どういう視点で読み解いたか

元々、『大学』の素読は
自分の至らなさが嫌で、
「こういう古典を読めば、大したやつになれる」
という期待のもとに始めました。
二十歳を過ぎてからのことです。

師匠や推しを「私の目指す理想」に設定して
彼らの言っていることを「血肉にしよう」と、
「誦んじられるまで書き写す」ことを試みたりしていました。
(いまじゃすっかり抜け

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心照古教〜『大学』を考える〜【九】

心照古教〜『大学』を考える〜【九】

格物致知「知を致すは物を格すにあり」

「古の明徳を天下を明らかにしよう」とするには、
突き詰めていけば
「自分の良心の鏡を雲らぜず正しく保っておくこと」が必要になる。
だから、これを実践しようとすれば、
「自分自身を正す」ところから始まる。

実践の段階を示す八条目

自分自身を煩悩の雲で曇らせず、
正しい判断ができるよう研ぎ澄ませ続けることで
自分が治める家にも、国にも、天下にも
調和が広がっ

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心照古教〜『大学』を考える〜【八】

心照古教〜『大学』を考える〜【八】

拠り所を持つということ八条目

「大学」をまとめた学団の筆頭であり、師である曾子は、
孔子の教えを忠実に実践した人でした。

ここで思い出したのは、今年(2023年)の7月にお伺いした、
池上実相寺での「論語を楽しむ」講座でのお話です。

温故知新

古い記憶(教え)をぐつぐつ温めていると
新しい知が生まれる。
それを温故知新という。

講師の安田登先生がおっしゃっていた解釈が、
頭の中に響きまし

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心照古教〜『大学』を考える〜【七】

心照古教〜『大学』を考える〜【七】

道に至るための「八原則」「大学」を実践することで「至善に止する」…
小我的な、自分の都合による善悪の観念から離れて
絶対的な善に到達すると、
次第に定まってくる、安定してくる。
安定して初めて静かになる。雑音を出さなくなる。
静かになるということは、
純一であること、熟練しているということなので、
人間の精神作用が静かに純一になって初めて安らかでいられる。
心が安らかであれば、よく慮ることができる

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心照古教〜『大学』を考える〜【六】

心照古教〜『大学』を考える〜【六】

今の私は、何をやっているのか少し「大学」の本筋から外れるのですが、
「ひとり」に徹したブッダのお話に思うところがあったので、
今回はこのことに触れたいと思います。

ブッダの遺言は、「犀の角の如く、一人歩め」

このお話を知った時、
理解されなくとも自分の大事なものを見失うな
というメッセージを受け取りました。

優劣・相対の次元での、二項対立に参加すると
この「自分の大事なもの」を見落としがちに

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心照古教〜『大学』を考える〜【三】

心照古教〜『大学』を考える〜【三】

「正解」がない以上、自分の「欲」が指標になる

ここしばらく起こっていた一連の教訓を経て、
私は、行動指針を
外側にある「正解」の幻影から、自分の「欲求」に鞍替えしました。

でも、相変わらず
自分を無法に押し出して周りに迷惑をかけることはしたくありません。
子供のときに「これだけは」と強く戒めてきたことですし、
これは子どもの純粋な感性による美意識だと思うからです。

以前『街場の共同体論』か何

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心照古教〜『大学』を考える〜【二】

心照古教〜『大学』を考える〜【二】

「内にある小太陽」にかかる雲自己防衛のための自己卑下も、
本来持っているはずの「内なる太陽」にかかる
雲の一つだと思っています。

その思考自体が本人の気力を奪い、
建設的な思考や行動を妨げるからです。

私が自分を露骨に過小評価していたとき、
大学の授業で、就職活動準備として行ったワークで、
「自分が成長したとかんじるエピソードを思い出してみよう」
というものがあったんですが、
沈思黙考した結果

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