心照古教〜『大学』を考える〜【六】
今の私は、何をやっているのか
少し「大学」の本筋から外れるのですが、
「ひとり」に徹したブッダのお話に思うところがあったので、
今回はこのことに触れたいと思います。
ブッダの遺言は、「犀の角の如く、一人歩め」
このお話を知った時、
理解されなくとも自分の大事なものを見失うな
というメッセージを受け取りました。
優劣・相対の次元での、二項対立に参加すると
この「自分の大事なもの」を見落としがちになるから、
危険な行為なんだよな、とも思いました。
人のことに構っとる場合か、
っていう怒りが湧く感覚かな
と想像して共感しました。
優劣争いは自己修養の足を止める。
他者の介在が疎ましいのは、
この感覚から来るのかも知れません。
でも、私が今、noteにこういう
自分でもわからない、まとまらない
頭の中を共有していることと
この感覚は矛盾しているのかも、
とも思います。
私がnoteを書いている理由
元々、「明徳発輝」を心願として
2023年中、各所を旅したんですが
その落とし所として
「誰かのために自分の能力を活かす」ことで、
できそうなことが
自分の内省を言語化して共有することだったんですよね。
そしてここで気づいたことがあるのですが、
シェアせねば=役に立たねば
は、アダルトチルドレン(以下、AC)的な発想
なのかもしれません。
私は自分を、
「ACの特徴を持っている」と思っている
と、先に断っておきます。
なので私情を多分に含んだ
私の考えるACの定義は、
「自己鍛錬に人生を費やしてきた人」なんです。
周囲から理解されないなか、
生きている環境で、
自分に必要な技能や心構えを習得して
それを錬磨してきた人だと思っています。
「周りとの関係」の中で求められている
自分の「役割」を察知し、
それを担うための術を
自力で編み出してきた人だと思います。
私はそう自認したい、
そうじゃなきゃ浮かばれねえ(笑)
私は、「いまが生きづらい」のは、
これまでの人生で生き抜くために
守らなければならなかった“局所的ルール”が、
インパクト強すぎて今もなお骨の髄に残っているために
いつまでも縛られている感覚が窮屈なんだ
と思っています。
なので、むしろポテンシャルは頼もしいんですよ。
ずっと負荷の大きいルールに耐えてこられたんだから、
順応性と耐久性は十分鍛えられているし、実績もある。
あとは、
もういらない「局所的ルール」を外すことができれば
また新たな「いま必要なルール」を取り入れることができる。
それができれば、
今度は「いらないルールを手放す」という経験もあるから、
それを活かして取捨選択自在だ!
人生の幅が広がる!
という理屈をこねて希望を抱いたりもしています。
局所的ルールも今の自分と同化しているので、
今の所、外せた感覚は未経験ですが。
案外、これまで自分を苦しめていた呪詛が
ただの「もういらないルール」だと気づいたこと自体が
「外せている」ということなのかも知れません。
→道に至るための「八原則」
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