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命の活かし方探究

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自分の命そのままに生きる模索
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2024年1月の記事一覧

心機一転〜負の循環を断つ〜【二】

心機一転〜負の循環を断つ〜【二】

「なりたい姿」を現実化するために、
狎れている方法を選ぼうとする

「自分がする」発想で現実可能な方法を考えると、
「過去にやってきた」パターンへの入り口に立つ

貯金の底が見え始めた頃になると、
あったものがなくなるわけですから
やはり不安が頭を擡げてきました。

今やっていることで、
収入を得る術を確立できていないのだから

労働力を求めている場所に行って、
求められている労働力を提供するのが

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心機一転〜負の循環を断つ〜【一】

心機一転〜負の循環を断つ〜【一】

1月27日から、1月29日まで少しばかり遠出をしておりました。
おうかがいしたのは京都と和歌山。

ここ2年のうちに繋がったご縁で
これまでにも度々おうかがいしてきていたため、
もうGoogleマップに頼らずとも
なんとなくの土地勘で目的地に辿り着けるようになっています。

この三日は、私の人生の転換機なのではないかという
気がしています。

私の理想私が理想としている在り方を、
師匠の言葉を借り

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心照古教〜『大学』を考える〜【むすび】

心照古教〜『大学』を考える〜【むすび】

『大学』に心を照らして読み解いてみた結果今回どういう視点で読み解いたか

元々、『大学』の素読は
自分の至らなさが嫌で、
「こういう古典を読めば、大したやつになれる」
という期待のもとに始めました。
二十歳を過ぎてからのことです。

師匠や推しを「私の目指す理想」に設定して
彼らの言っていることを「血肉にしよう」と、
「誦んじられるまで書き写す」ことを試みたりしていました。
(いまじゃすっかり抜け

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心照古教〜『大学』を考える〜【三五】

心照古教〜『大学』を考える〜【三五】

義を以て利と爲す本文

我流訳文

魯の大夫である孟獻子は
こう言っている。

「四頭立ての馬車を使用する身分の大夫にもなれば、
 鶏や豚を飼って生計を立てている市民の経済に
 干渉してはならない。」

「氷を伐るということは、
 夏に祭祀用の供物が腐らないように冷凍の用意ができる家ということ。
 そういう、氷を用意できるような富を持つ大夫の身分になると
 庶民や農民のような牛羊を蓄えない。」

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心照古教〜『大学』を考える〜【三四】

心照古教〜『大学』を考える〜【三四】

財を生ずるに大道あり本文

我流訳文

およそ、一国の財政は一日も疎かにできないものだが、
財政を豊かに運営するためには大原則がある。
これを、食料生産面から見ると、
「農業人口を多くして、非生産的な消費人口を抑えること」。
工業面で見ると、
「物を製造する効率を上げ、
 これを使用する時は大切に取り扱って消耗を緩やかにし、
 長持ちさせるようにすること」。
そうすれば、一国の財政はつねに円滑に運

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心照古教〜『大学』を考える〜【三三】

心照古教〜『大学』を考える〜【三三】

君子の大道本文

我流訳文

賢人と見てもこれを挙げて用いることができない、
また、挙げても挙げっぱなしで、
自分が先に立って一緒にやっていけないのは怠慢である。
(※命は「怠」「慢」などの文字だったのではという解釈があります)

不調和を生むほど器の小さい人を見ても
これを退けることができない、
また、仮に退けられても、僻地にまで追放できないのは過失である。

善を好み、悪を悪むのは人の天性だ。

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心照古教〜『大学』を考える〜【三二】

心照古教〜『大学』を考える〜【三二】

「悪」の定義と、「仁」の在り方「悪」=他を妨害し蹴落とそうとする器の小さい人人を嫉み憎むような精神状態に陥る状況はどんな時か

私は以前、
この章の「悪」の立場に感情移入したことがありました。

才能ある誰かを羨ましがったり、
自分の立場を脅かされる感覚に怯えたりする
ということは、
「職場、針の筵なんだろうなあ…」と。

そして、そうは言っても
「職務に着手するための環境」で
本来の職務よりも私

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心照古教〜『大学』を考える〜【三一】

心照古教〜『大学』を考える〜【三一】

仁人能く人を愛し、能く人を惡むを為すと謂う本文

我流訳文

『国語』(中国春秋時代を扱った歴史書)の「楚語」にも、
「わが楚國は財貨を宝とはしない。ただ善を宝とする」とある。

為政者が善を失えば、国を失うに至るからである。

また、晋の文公が秦に亡命していたとき、
文公の母方の叔父である舅犯が、秦の穆公に
「亡命中の文公にとっては、政権が宝ではない。ただ親しくすべき者に仁恩を施すことこそ宝であ

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心照古教〜『大学』を考える〜【三十】

心照古教〜『大学』を考える〜【三十】

徳は本なり、財は末なり。本文

我流訳文

『詩経』の大雅文王篇には、このようにある。
「殷の王が未だ天下万民(師)の心を失わなかったときは、
 帝王の位というものを弁え、政治の道徳的精神を失っていなかった。
 殷が紂王の暴逆によって天下を失った所以に鑑みるといい。
 大いなる天命(峻命)を保つのは、容易なことではないとわかる。」

これは、民心を得れば国を保つことができるが、
民心を失えば亡国に

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心照古教〜『大学』を考える〜【二九】

心照古教〜『大学』を考える〜【二九】

君子は誠実に、かつ、ゆったりと構えている本文

我流訳文

『詩経』小雅の南山有台篇には、
「徳が豊かで常に心に楽しみを抱いている君主は、
民の父母に等しい」とある。

君主は天下の民を
我が子のように視ているので、

慈父母が我が子を愛するように
民が嫌がることを悪み、
民が好むことを好む。

これを「民の父母」という。

『詩経』小雅の節南山篇には、
「雄大で厳かに聳え立つかの南山は、巨大な岩

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心照古教〜『大学』を考える〜【二八】

心照古教〜『大学』を考える〜【二八】

天下を平らかにするには、本文

我流訳文

八条目の「天下を平らかにするには、其の国を治むるにあり」とは

君主が
老人を老人として敬意と労りを持って大切にすると、
民は自ら自分の親への孝養に励むようになる。

君主が年長者を年長者として大事に扱うと、
民は自ら兄や姉に対して素直さと情愛を見せるようになる。

君主が孤児を憐れんでよく面倒を見ると、
民は心から君主に従うようになる。

だからこそ、

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心照古教〜『大学』を考える〜【二七】

心照古教〜『大学』を考える〜【二七】

其の家人に宜しくしてのち、以て國人を教うべし。本文

我流訳文

詩経の周南桃夭篇に、
「みずみずしく葉が生い茂り美しく咲いている桃の花のように教養が豊かに成長した娘が嫁いで行き、その家の人とよく調和する」
とある。
このように婚家の人々と和やかに調和してはじめて、
国民を教えることができる。

詩経の小雅蓼瀟篇に
「兄たるによろしく、弟たるによろしい」
とあるように、人の上に立つ君子は、
まず兄

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「地獄のような世界」と「理想の世界」

「地獄のような世界」と「理想の世界」

「一人の成功者に周りの人間がぶら下がる」世界

今朝(2024年1月18日9時ごろ)見かけた、
2年前の岡田斗司夫さんが気になることをおっしゃっていました。

…情報が古いと言われればそれまでなのですが(汗)、
この話を伺った時、
「え、地獄…」と思いました。
「地獄の鬼どもが溢れかえるってことじゃん」とも。

事務員として働いていた頃、
創意工夫を楽しめるくらいに仕事に入れ込んでいた職場で
いつ

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心照古教〜『大学』を考える〜【二六】

心照古教〜『大学』を考える〜【二六】

「忠恕」を深掘る

今回は、【二五】にあった「恕」について深掘りしていきます。
「恕を内蔵していないと人は聞く耳を持たない」とはこれいかに。

『論語』の里仁篇には、

「夫子の道は忠恕のみ」

とあり、
孔子の教えの眼目の一つは「恕」にあると言えるようです。

この「如」に「したごころ」がつくとなれば、
「心のまま」ということになるんでしょうか。

私なりに解釈すると、
自分の「心のまま」を知り

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