見出し画像

心照古教〜『大学』を考える〜【三二】

「悪」の定義と、「仁」の在り方

【本文】
人の技有る、媢疾ぼうしつしてもって之をにくみ、
人の彦聖げんせいなる、之にたがいて通ぜざらむ。
まことるるあたわず。
もって我が子孫黎民を保んずる能わず。ここあやうかなと。
ただ仁人じんじん之を放流ほうりゅうし、これ四夷しいしりぞけて、とも中國ちゅうごくを同じうぜず。

【我流訳文】
一芸ある人に対しては彼をねたみ、
 聡明な人に対しては事毎ことごとに憎んで邪魔をするような、
 器の小さい
臣もいる。
 こういう人物を用いていると、国は乱れるし、子孫も安心できない。
 何より、国民の生活を保全することもできなくなっていく。」

だから、仁人が上に居る限り、
他者を嫉み憎むような器の小さい「悪人」
国外の僻遠へきえんの地に追放して、国内に住まわせないようにする。

「大学」

「悪」=他を妨害し蹴落とそうとする器の小さい人

人を嫉み憎むような精神状態に陥る状況はどんな時か

私は以前、
この章の「悪」の立場に感情移入したことがありました。

才能ある誰かを羨ましがったり、
自分の立場を脅かされる感覚に怯えたりする
ということは、
「職場、針のむしろなんだろうなあ…」と。

そして、そうは言っても
「職務に着手するための環境」で
本来の職務よりも私情を優先して、
実際に妬み憎しみの感情を表現したり
妨害工作まで実行したり(=業務妨害)するということは、

・自分の扱いへの不満に捉われてそれ以外が見えなくなっている
(=視野が極端に狭くなっている)

・それを見苦しいと自制する知性や自尊心がない。
(=知性が消え去るくらい、自尊心がボロボロ)

ということだと想定してみます。

相当追い込まれてんじゃないかと思いました。

蔑ろにされるような「言動」にはどういう特徴があるか

でも、「針の筵」になるのには、経緯があると思うんです。
もし初っ端から攻撃してくるようなお局がいたとしても
誰にも邪魔できないくらいに技能を究めれば、
人間関係も二の次に仕事に集中できるようになるので、
何くそ根性でその地点を目指すことに情熱を傾けるだけでも
「針の筵」度は半減します。

仕事に真剣になっていれば、共感してくれる人も現れます。
時間をかけることで自分の地位を磐石にしていくことも可能だと思います。

そっちを選べなかった「悪」は、
どういう言動を職場でやっていたんだろう。


会社で「こいつどうしようもねえな」と思う時って、
どんな時でしょうか。

パッと思いつくのは、
携わっている仕事をほっぽって、
他人の仕事のアラを探して吹聴して回ったり、
邪推を含んだ噂話を広げることに勤務時間を使っている人
…ですね。そういうイメージを思い浮かべています。

なぜこんなことをするのか。
知りたくもないが、話が進まないので
「暇だから」ではないかと想定してみます。

だから仕事しろやと思わんでもないが、
「携わっている仕事を重要視できないから頭から抜け落ちている」
んだろうと想定してみます。おい職場やぞ。

私の立場から見た「自分に課したタブーを犯している人」
への反発が、微妙に疼き出しました。

このまま行くと「影の投影」に怒るサンドバッグをなぐるという
不本意な方向に流れそうなので、
軌道修正します。

「どうしようもないな」と感じさせる言動に見られる特徴は何か。

その社会で「最低限守るべき」…
つまり、ここだけは“自分以外”を優先できないと成り立たない
という部分さえも「守れない」、
自分のペースやルールを譲れない、変えられない時
に表れている状況だと考えてみます。

「合わない」人を、その環境の型に押さえつけるのは
ほんとうに「その人のため」か

現代では、いろんな立場の発信者がいるからか、
それぞれの事情が垣間見れるようになってきました。

それぞれ、
「こればかりは尊厳にかかわる」という抗いだったり、
「この人生ではそれしてたら生きてこられんかったんです!」
という戸惑いだったり、
「直そうともがいた結果が今です。」という境地だったりを抱えていて、
一概に「それじゃあまかり通らんから直せ」で
済まされないことがわかってきた。

…「他者を妨害したり幸運を掠め取ったりして自分が得しようとする奴」は社会から締め出されればいいのにと今でも思っていますが、
これが対象の一面だけを見て「憎らしいやつ」というイメージを肥大化させただけだということにも、もう気づいている。

少し脱線しました。

場所を変えさせることが
「徳性が頭打ちになっている人の発展」になることもある。

合わないところで
無理やり外側にある正解に自分の形を抑え込む努力をしていると、
一方的に消耗して
にっちもさっちも行かない精神状態になるんだと思います。

感覚が麻痺して判断を誤ることになったり、
誰かが憎らしくて仕方なくなったり、
これって、
自分の本当の感覚を蔑ろにして
他の人間を基準にものを考えているから起こるんだと思います。

ここで、私のことばのサプリを紹介します。

ふしぎな性質·性能をあらゆる物が持っておる。
いわんや万物の霊長たる人間においてをやで、
人と生まれた以上、本当に自分を究尽し、修練すれば
何十億も人間がおろうが人相がみな違っておるように、
他人にない性能と能力を必ず持っておる
それをうまく開発すれば、
誰でもそれを発揮することができる

安岡正篤『人生は自ら創る』

足下には、一生かけて掘り進めないといけない鉱山があるんです。
内側には、一生かけても足りないくらいの宇宙があるんです。
他の人のことなんか、かまってられますか。

人に惑って自分を見失った「悪」にとって、
隔離は本人が冷静になるためにも必要な処置な気がします。
自分を掘り進めるには、
人との競争ではなく、一人で沈潜する時間が必要なんじゃないでしょうか。

「仁」=包容し、育成する力

私情ではなく、高い視点と広い視野を持ってはじめて
本当に他者のためになる判断ができる。
「憎らしいから懲らしめてやろう」とかいう私情じゃない。
そこには「攻撃をしている側の人間」への配慮もちゃんとあって、
その状態が本当に「誰のためにもならない害悪」だから、
どちらにもその影響がないように隔離をする。

離れられれば、違う景色も見えてくる。

仁人が悪をにくんで、
遠い遠い僻地に隔離するのは
こういう配慮からくるのではないかなと思います。


→君子の大道


知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。