さぎり

思ったことをここに綴っています。19歳

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最近の記事

哲学の入門書を読んでいますが......

僕は「フランスの高校生が学んでいる哲学者 10人」という本を読み哲学に興味をもち、哲学の入門書をいくつか購入し勉強しております。 正直なところ、わからないところは全然わからないです。 日本語としては読めてもその文がなにを意味してなにを伝えているのかは正直わかりません。 しかし、僕は思います。なにか物事を理解するプロセスのなかで、「最初から理解できる」ことはないと思うんです。 そして「わからない」と認めることが理解することへの第一歩ではないかなと感じております。 だからわからな

    • 仕事の疲れありつつも、冬に向けてタイヤ交換だけはした。 今はもう布団から動けないし何もする気が起きない。 本は明日読むことにする。

      • 西欧哲学入門の本読んでるけど面白いな。明日には読み切っていろんな哲学の本を読みたい。 なんというか、正解のないことを考えることにとても自由を感じる。

        • いざ書いてみると…

          物事が継続できない僕ですがこのnoteだけはまあまあ続けられていると思っているのですが…。 noteを書く前はものすごく頭が回って、これをこういうふうに書いてああしてこうしてとか思うんですけど、いざ書き始めると想像した道筋より結構外れることがあるんですよ、というか毎回そうですが。 まだ上手く言語化できないというところもあるし、「人に伝える」という前提で書いてるからめちゃくちゃな文章かけないなーみたいな感じなんですけど。 なんというか、頭の中ではものすごく膨らみ、膨らみ続ける

        • 哲学の入門書を読んでいますが......

        • 仕事の疲れありつつも、冬に向けてタイヤ交換だけはした。 今はもう布団から動けないし何もする気が起きない。 本は明日読むことにする。

        • 西欧哲学入門の本読んでるけど面白いな。明日には読み切っていろんな哲学の本を読みたい。 なんというか、正解のないことを考えることにとても自由を感じる。

        • いざ書いてみると…

          減薬してすこし楽になったかもという話

          平日はnoteを書く余裕なんてないと思っていましたが案外時間ができたので書きたいと思います。 イフェクサー(飲み方間違えて躁転)+漢方薬→エビリファイ→インヴェガ→ラツーダ→+クエチアピン の順番で飲んできましたが、薬の切り替えの時が一番辛かったししんどかった。徐々に増やして合わなかったら減らしながら次の薬を徐々にいれていくわけなのでその2つが身体にあるときがあるというわけです。まーじでしんどかったし、この時は考えることなんてできないし躁転での入院で、ある程度抑える薬を飲ん

          減薬してすこし楽になったかもという話

          ああ、やっぱり病気なんだな。

          最近までは調子が良かったけどそれは少し躁に傾いていたからそうなっていただけと気づいた。主治医に言われたのもそうだし、自分でもそう思った。 一度躁になっていたと思えば今までの行動がすべて躁によるものだと決めつけてしまう。 自分で選んでやってきたつもりが、すべて「躁」というその言葉ひとつで片付けられてしまう。 悔しい。 そしてそう気づいたこの週末はすごいエネルギッシュに動いていた平日と反対に布団から出ずに過ごした。 先週、先々週は散歩などして気分転換できていたけど今週は諦めた。

          ああ、やっぱり病気なんだな。

          ほんとの自分がわからない。(躁鬱)

          調子がいいときは薬のおかげ、調子悪い時は病気だという自覚が増す。だから「普通」の状態がわからない。 今日医者にいったが少しハイになっているのではと言われた。普段はおだやかだが職場での人間関係をこじらせすこし攻撃的になっているのを見抜かれた。 継続していきているというよりその場をしのいでいく。そういう生き方しかできない。 将来を見据える。そんな生活をしたいものだ。常に意識しているのは「明日の朝も元気で仕事に行けるか」ということ。 調子がいいからと頑張りすぎると後が辛い。そして頑

          ほんとの自分がわからない。(躁鬱)

          向き合わない、考えないという選択肢

          僕は前にも書いたように躁鬱、吃音もちだ。 そんな僕はずっと躁鬱はどうやったら治るのか、吃音がどうやったら治るのかということばかりを考えていた。 確かに躁鬱や吃音になるにはなにかしらの原因があるとおもう。でもなってしまえばずっと付き合っていかなければいけないということは何となく感じていた。受け入れるべきだがなかなか受け入れることが難しかった。 そうしていつしか考えすぎてしまう性格になっていた気がする。 吃音に関してはとてもひどく、「どもってしまったら周りの人はどう思うかな」と「

          向き合わない、考えないという選択肢

          心の妥協点を作るということ。

          僕は1ヶ月弱休職していたが、10月1日から職場復帰に向けて午前中勤務をさせてもらっている。 そこで周りの人から言われることがある。 「頑張りすぎたらダメだよ」とか「無理しすぎたらダメだよ」とか。 確かにそうだなと思い1日からそのような思いで仕事に取り組んだ。 しかし、仕事をしている中で「頑張りすぎたらダメ」「無理をしすぎたらダメ」 そう思いながらやっていたらとてもしんどかった。そして今日なぜしんどくなっていたかわかった。 頑張りすぎたらダメとか無理しすぎたらダメという考えは「

          心の妥協点を作るということ。

          カウンセリング後の感覚

          今までの自分と変わろうとしている自分が葛藤している感覚を覚える。 カウンセラーから投げかけられた一般論、客観的な意見が僕の歪んだ考え方にぶつけられそれが形を変えようとしているような感じ。 今日僕は頑張りすぎてしまうこと、その根っこには「認められたい」という気持ちがあるのではないかという持論をカウンセラーに投げかけた。 カウンセラーは「ほんとに認められたいとは思っていないかもしれない、その認められたいという気持ちは不安によってそう思っている。不安に駆られてそのような思いになって

          カウンセリング後の感覚

          どの道を選んでも苦労が待ってると思うと歩みを止めたくなる

          この先を考えると嫌になる。

          どの道を選んでも苦労が待ってると思うと歩みを止めたくなる

          見るだけの生活

          やることがなくyoutubeを見る。TikTokを見る。Twitchを見る。 はたから見たらなんて贅沢な生活をしているんだ。そう思うであろう。 しかし、ただ見ているだけでそこに「楽しい」「おもしろい」などという感情なんてない。ほんとうにただ「見ているだけ。」 こういうのはコンテンツを消費するというのだろうか。 コンテンツを消費していると思うことがある。 「おもしろいのないなあ」 はじめはなにかしらyoutubeやTikTokなどで面白いものを見たのを覚えているのだが、今はそれ

          見るだけの生活

          布団から出られないって話

          今日いままで布団にずっといた。 朝起きてご飯をたべるためだけに布団からでて、食べ終わったらまた戻る。 そして適当にyoutubeやゲーム配信をみる、布団にはいりながら。 別におもしろくもないし楽しくもない。 でもこうしていないとなにか気持ちが落ち着かない。 ラジオでも聞こうかとラジオを聞くが数分で「もういいや」と再生をとめてしまう。 職場から連絡がきた。「休職後調子はどうですか、もし調子よければ時短勤務から始めますか?」と。 いやいや。と思いながら返信する。布団に入りながら。

          布団から出られないって話

          病気だからできないと言ってしまってもいいのか

          僕は躁鬱もちだ、今は適応障害で休職している。薬も二種類飲んでいる。 4月に入社してからはいわゆる「普通」の人のような生活を送ってきた。 でも今は休職している状態だ。 休職した理由は上司のパワハラだ。パワハラを受けてそれを役員に伝えて異動という対応をとってくれた。 異動先でまた新しいことを勉強しないといけないストレスとそれまで受けていたパワハラのダメージが合わさり今に至る。 そこでだ。 今働ける自信は正直ない。また週五日の労働はできないと感じている。そして僕は躁鬱をもっているの

          病気だからできないと言ってしまってもいいのか

          隣の芝はずっと青いまんま

          僕はすぐ他人と比較してしまう。そして落ち込む。 あれがしたいこれがしたい。 そう思ってやってみる。 でも満足できない。 なんでだろうか。 やってみたいことをいざやり、続けていたらいつの間にか義務感がでてきていつしかそれはやりたいことではなくなっていく。 やっていく中で自分より優れている人に嫉妬する。 やはり他人の持っているものを羨む考えが僕の頭にこびりついている。 他人の持っているものはキラキラしたものなのにいざ自分がもつとそれはガラクタのように思える。 なんでだろうか。 僕

          隣の芝はずっと青いまんま

          休職後はじめて散歩をした

          家の周辺をゆっくりと歩いた、とても暑かった。 太陽のエネルギーを感じることができたし、そのエネルギーを少し分けてもらった気になった。少し元気が出た。 青空を見た、すごくきれいだった。宇宙からみたら僕という存在はちっぽけなものなんだろうなあと思いながら歩いた。 時間がすごくゆっくり進んでるなと感じた。 この時間がずっと続けばいいのに。 もう働きたくないと思ったしもう八時間労働できる自信なんてない。 職種を変えて働こうかと思ったり、無理に正社員する必要ないかとか、バイトして

          休職後はじめて散歩をした