【R.O.T. People】身近な人との関わりが町に広がっていく。アルバイトスタッフから教えてもらった「次」の道
【プロフィール】
戸田公園「居酒屋 こばとん屋」店長
山崎 祐。呼び名「たすく」
1990年生まれの34歳。20歳の時にアルバイトとして株式会社ロットへ入社。
社員になってからの13年間で居酒屋6店舗での店長を経験。2024年から「居酒屋 こばとん屋」店長に。
根幹には大きな地元愛
ーーまず最初に、入社に至るまでの生い立ちを教えてください。
生まれも育ちも戸田です。小中高も、ずっと戸田。
ボーイスカウトを4歳から20歳までやり続けてきました。ちょうどロットに入るまでですね。僕という人間を構成する上での「根幹」になっています。
高校まで、学業は基本的に嫌いだけど、別に成績も悪くなかったと思います。
でも、頑張ることが苦手でした。なんかのらりくらりと、本当に平均以上をなんやかんやたたき続けてきたけど、何かに本気で打ち込むってことがない人生だったなと。
ボーイスカウトに関しても、親にやれと言われてたからやってましたし。途中から自分なりに楽しんではいたものの、別に辞める理由がなかったからやめていなかっただけで。継続的にできていたとはいえ、僕の人生で何かに本気で打ち込んで、完全燃焼したっていうのはほとんどなくて。
唯一あったと言えば、百人一首を子供の頃からずっとやっていたことくらい。ほんとそれくらいですかね。
だけど、その中で子供の頃から色んな人と出会って。
それこそ、ボーイスカウトって下が4歳で上が70歳とかなんですよ。ほんとに、どの年齢の人達とも話すこと・関わることが当たり前の中で僕の世界があって。
それを経て、大学を中退したタイミングで「何をやろう?」ってなった時に、アルバイトは戸田公園の「魚吉鳥吉」でしていたんですけど。やっぱり、「人と関わること」が僕はとてつもなく好きだったので、何か直接的に人と関わることがやりたいなと思っていた。なんなら飲食とか。
でも、親にはめちゃくちゃ反対されて「居酒屋で社員になるくらいだったら紹介するから料亭とかほんとに料理人になれ」って言われたんですけど。
多分その当時から僕は、料理・料理人に興味はなくて。
だけどなんでか、ロットの「魚吉鳥吉」っていうお店、はたまた株式会社ロットに何故かすごい引かれるものがあって。
その要素は2つだと思っています。
1つは、「人と関わる」っていうとこ。もともと根幹で好きだった部分が常に発揮し続けられること。
もう1つは、これがきっかけなのかなと思うんですけど、ロットに入った最初の年、20歳の時の「ロットアワード(社内表彰式)」ですね。
創業社長の田子さんが話してくれた「ロットを作った理由」。
当時、戸田に何もなかったと。戸田で生まれ育った僕は、やっぱりそれを知っていて。
そういう中で、「自分がイケてるお店を作って都内に出ずに戸田っていう町を盛り上げたい」っていう、やっぱりあの一言に非常に共感できたんですよ。
というか、本当に戸田が好きな人が戸田を盛り上げたいっていうのに戸田が好きな僕は、ただただそこに対して「喜び」となんかしらの「熱」が生まれたんだろうなっていうところが、ただのアルバイトから社員を考え始めたタイミングでして。そのような感じで僕は入社に至ったかなと。
まぁ、あとはやっぱりそうですね。
こっぱずかしいながら、一番近くにいた「尚さん(新店「oro」店長)の存在」もあるかなと。
当時やっぱりカッコよかったなと思いますし。もう一人、社員さんがいたんですがその人もカッコよかった。
あの二人の本気で打ち込んでいる姿がカッコよくて。
そこに入っていきたいなと思ったのが入社のきっかけになるなと。
本当にお二人がいなかったら、それこそ尚さんがいなかったらロットに入ろうって気にはなってなかったんだろうなと思います。
今でも僕からしたら、お兄ちゃんですね。
ーーロットに入社してからの経歴を教えてください。
アルバイトで入った魚吉鳥吉を丸2年やりまして、そのあと新座に4年間ですかね。先輩店長の下に丸1年。その後、店長に昇格させていただきました。
新座にいた4年間で内3年店長をやったわけですけど、あの時代を僕は店長になったとは正直思っていなくて。
その4年間が終わったあとに一回「降格」の話が出たんです。うだつもマジで上がらんし、何もできてない、何も成果を上げられなかった。
でも、最後のチャンスって山﨑社長が思ってくださって、東浦和の「55酒場」に異動することになって。
そこで2年間、店長やらせてもらって、それこそロットアワードでMVPのノミネートまでいけるくらいにチームをきっちり作って、売り上げも上げてっていう成功体験を得ることができました。
それから、北戸田「55酒場(閉店)」にいって一年経たずにコロナに入ってしまい、すぐ休業になってしまいました。そんな中、休業期間とかも色々やりながら、「魚吉鳥吉」に店長として戻ってきて。魚吉を2年半やって今に至ります。
自分のためから人のために
ーーその中で自分のターニングポイントになるようなことはありましたか?
東浦和の55酒場にいた4月のことです。
着任して2カ月だったんですけど、スタッフにガチギレをされまして。もはや説教なんですよ。
「今のたすくさんと一緒にやってたんじゃ、頑張ってきた自分たちのお店が壊れると思います」と。
なんか、それまでは店長っていうのは僕は「絶対」だと思っていたんですね。何をやるにも別に店長の勝手でしょ。何があっても、店長は店長でしょって、ずっと思い続けて。
それこそ、前を走っていることが店長の仕事で、後ろはついてくもんだと。っていうとこがある中で、僕の好き勝手。
「好き勝手やっていたら、このままだとせっかく復調してきた55酒場がダメになります。」っていう風に本気で説教をもらって。
その時、こんなにお店のことを思っているスタッフ、店長に対してここまで発言をしてくれる人に、そんな風に思われるような行動をしていたんだなと、ハッとするタイミングだったんですよね。
今までは、ただスタッフがやめていくだけ。でも、それに対しては目を向けずに「付いてこれないんだ」って偉そうにしてただけだった。
だけど、自分がダメだから人は離れるし、自分が真摯にやっていないから人は適当になっていくんだろうなっていうのを店長になってからの3年間を見つめ直させてもらった機会で。
スタッフからその話をもらった後に、ちょうど山﨑社長との面談をやらせてもらって。
「お前はどんな店長が嫌なんだ?」って聞かれて、こんな店長は嫌ですねって、めちゃめちゃ書き出して。書き終わった後に、「で、お前はそれをやってない?」って言われた時に見返してみると半分以上当てはまっていたんですよ。
ここまで客観的に人には嫌だって言っていることを自分で無意識的にやっているんだなというのをホントにその時改めて思いました。
その時に僕は、自分のために店長をずっとやってたものから、頑張ってくれている周りの人間のために動いていきたいっていう風に考え方が変わって。
それからは、なんか偉そうにああだこうだ言うよりも、周りのみんなの意見をまずは聞くことを意識していきました。
ちょうどその翌年くらいに勉強会で、トップダウンからボトムアップっていう組織図があるんだよっていう話をもらった時に、ガチガチにフィットしたんですよね。僕のやりたいことって「これだ!」って。
先輩の背中を見て同じようなことをやろうとしてたけど、それで上手くいかなかったのはリーダーとしての構造が違うんだということに気づかせていただきました。
そして、それに賛同してくれたスタッフがいてくれる。
それまでのやり方をちょっと変えてでも賛同してくれていた、あの2018年の55酒場のスタッフたちがいてくれたことが完全に僕のターニングポイントです。
考え方を変えてからは手応えがありました。アクションに対するスピード感、何よりすごく楽しかったんですよ。
自分以外の人間が、お客様を見ようとしている環境がすごく楽しくて。
スタッフと話すと二言目にはお店の話。
「もっとこれはこうした方がいいですよね」ってワードも出るし、「大将のこういうところが良くないと思うんですよね」っていう話をしたりと、そういう話が当たり前に出ていて。
それは「じゃあ、なんのため?」っていった時に、やっぱり「お客様を喜ばせたいから」っていう根幹があったからこそだなと。
ーーこれからはどういう風になっていきたいの?
ひとつの店舗の店長としてやっていることは楽しい部分はあるんですけど、ただやっぱり僕の根幹は「人と関わること」。
今も店長をやりながらでもやってはいるものの数年前から意向としては、一つの店舗の店長として独立とか目指すとかではなく、全店に関わる・全店のことを助けられるそんな人になっていきたい。
どういうポジションかは分からないですけど、「人を助けられる位置」にいたいなと思っています。
僕に、そして町に欠かせないもの
ーーあなたにとって「笑顔」とはなんですか?
人と人が上手く繋がるために必要なもの。
相手のことを知らないっていう中で、知ろうとする環境があって。知ろうするために間口を広げるものだなと。
感覚的な部分ですけど、笑顔を嫌う人はいないなというのがやっぱりあって。喜ぶかどうかはさておいてでも、ネガティブな印象にはならないだろうなって思いますね。
僕自身、真顔でいることもホント多いですし。笑顔っていうものに対しては、本当に苦手で。なんか僕の中では、笑顔は作るものなんですよ。スキルの一部。だから、本気で笑顔の人たちを見ると「すごいな」って思います。
でも、努力すれば人の印象は変えられるっていうところがずっとロットに入ってからの想いで。
笑顔になることによって生まれるポジティブなことが圧倒的に多いなと。だから、必須なものです。
ーーでは、「ロット」とは?
自分の想いを体現できる場所。
そして、もう町になくてはならないものだなと。
戸田の友人たちに聞いても、やっぱりロットのお店に行っているんですよ。
何年たっても、ロットのお店がもしなかったとしたらって考えた時に、こんだけお店増えたよねって言いながら、ロットがなかったら「つまんねえな」って思うんですよ、絶対に。
飲む場所に困ることはないんですけど、僕はつまらないなって思いますね。
ーー戸田住民として、これから戸田にどんな店ができたら嬉しいですか?
今は、「じゅうじゅう」とか「パーラーオオハシ」がそれにあたるのかと思うんですけど、居酒屋ではなくて子どもを連れていけるようなお店、というより「子どもを必要としているお店」ですかね。
もはや飲食店に限らないと思うんですけど。
世代は変わってきていて、僕の歳は子どもがいるとかっていう中で、親としての感情が生まれてきている世代の中でいうと、子どもが集まれるような、そんな場所があったらいいなとは思いますね。
「仲間」がいる、「次」がある
ーー最後に、もしかしたら一緒に働くかもしれない仲間へメッセージをお願いします。
責任感さえあれば、多分このロットはやりたいことをやらせてくれる、というかチャレンジさせてくれる会社だと僕はずっと思っています。
失敗をしても「お前、失敗したね」じゃなくて、ちゃんと次の機会を与えてくれる場所だなと思うんですよね。
だから、挫折をこんだけ味わった人間が、まだ第一線を張らせてもらっていると思う。
多分、チャンスを他の会社さんよりももらえるので、ほんとになんか昭和みたいな言い方ですけど、やる気さえあればそれを買ってくれるし、後押しをしてくれる、背中を押してくれるいいとこだなと。この会社ならではなんじゃないかな。
そして、何よりも仲間があったかい。
これは本当に思っていて。自分一人で戦わなくていいからこそ、色んな事を自由にできて。それ以外になんもいらないんじゃないかと思うくらい。
だから、本当に気持ちさえあれば、誰も批判をしないし、全員が応援してくれる会社だからこそ、集まってほしい。
一緒にやれたらいいなと。
ただその言葉、勇気はいる言葉ですけど、一緒にやりたいの一言が結果的に僕の場合は13年、人生の1/3を費やすところになりうる可能性は秘めているとこだなと思いますね。
めちゃめちゃ挫折したとしても、「で、次はどうする?」と言ってくれる会社だなと。
次を与えてくれる会社が、この株式会社ロットです。
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